> (西洋)医学は、「共認動物としての人」を”治療する”上で、何か根本的に出発点・立脚点がズレている気がします。(87325)
”治療する”の原点は何か?を生物進化から考えてみると、その始まりは哺乳類がお互いにやっている毛づくろいまでにさかのぼり、ハッキリとした兆候は霊長類に見ることができます。
『チンパンジーは、互いに毛づくろいするとき、相手の肉体的欠陥に注意し、小さいはれものや傷をなめてきれいにする、といった行動が見られるそうだ。目に灰のかけらが入ったメスのチンパンジーが、涙を流しながらオスに近づき、オスが両手の指でその灰を取り除くのも観察されている。』(講談社学術文庫『医学の歴史』梶田昭著より引用)
チンパンジーは、共認機能=同化機能により、毛づくろいを通じて相手の痛みや苦しみと同化し、なめあうことでお互いの傷を癒します。そこに人類の「医療」「看護」の原点があるように思います。
人類は過酷な自然外圧に適応するために獲得した観念機能により、霊長類の時代の「毛づくろいによる癒し」を基盤に、集団課題としての「医療」「看護」へと発展させたのだと思います。ならば、そこには仲間への「同化と肯定視」に貫かれていたはずです。
しかし、現在の西洋医学(14〜15世紀にイタリアから広がったルネッサンス以降に発達をとげた科学的な医学)はパーツ(病気の部位、臓器)を治療する医学であり、「共認動物としての人」を治療する医学ではありません。確かに西洋医学は多大な成果を今日に残していますが、それは「同化と肯定視」という医療の原点を見失ってしまった、いびつな医療なのではないでしょうか。 |
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