>また近くに神社があり、そこに行く道筋は深い森が続いているのですが、その道を夜に歩く時は、文字どうり漆黒の闇が広がっており、闇に包まれた森の中の空間から樹々が”シンシン”と声を発し何かを語りかけていました。身体は何かに包まれてふんわりと浮遊しているような感覚です。9709
この数ヶ月感謝のトレーニングを意識的にするようにしていますが、最近それを行うお気に入りの場所を見つけました。家の近所のなんてことない公園ですが、深夜遅くになるとあたりはシンと静まりかえります。その公園には3本の大きな欅の木があります。静寂の中、サーァサーァという欅の葉がすれ音だけが聴こえます。大きく深呼吸をして、ゆっくり目を閉じます。なんともいえない充足感を感じます。
海にいって波音だけをただ聴いている時、川のせせらぎに耳を傾けているとき、自然に癒される瞬間って「聴くこと」にヒントがあるかも知れません。
人間の五感の中で聴覚が持っている特長はなにか?少し調べてみました。
人の顔をイメージします。目と鼻と口は顔の正面についています。視覚・嗅覚・味覚は常に外に向かって対象をとらえその情報によって次の行動をうながします。
しかし耳だけは顔の側面についています。もちろん聴覚も外からの情報を、空気振動というかたちで鼓膜でとらえます。しかし聴覚の特徴は鼓膜(中耳)の奥にある内耳の機能にあります。骨導聴覚、頭蓋骨の中の小さな骨を伝わって聴こえてくる振動を音として感じ取るもので、主に自分自身の声が伝わってきます。自分の声をテープレコーダーに録って聞いてみると、いつも意識している自分の声と違うように感じるのは、自分自身にしか聞こえない骨導聴覚の音を含めて自分の声として聞いているためです。
つまり身体内部の情報を感じ取れる聴覚、これは大きな特徴で、だからこそ、頭の先だけでなく、「その「第2の皮膚?」を通じて、ダイレクトにそれが心の中に伝わってくる、そんな感覚9709」を感じるのかもしれません。
同じような感覚を覚えることがもうひとつあります。「音読」です。仲間とこのサイトにある優れた投稿を「音読」するとき、ダイレクトになにかが心の中に伝わってきます。
耳は「聞く」と「聴く」を使い分けます。聴こうとする意欲、つまり相手と同化し、相手に期待を感じるとき、自分の心が開いているとき、心の中で聴くことができるように感じます。
参考サイト
耳は心の窓 リンク
トマティスってなにリンク
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