「アマゾン先住民〜ヤノマミ〜」のドキュメントから
特に印象に残った点は、
@一体感のあるオープンな住居
「シャボノ」と呼ばれる楕円形の共同住居には村人の70人全員が暮らしています。大きな中庭の周囲にぐるりと輪になる形で屋根あり、中庭からは各住居の様子が丸見えです。しかも各住居には間仕切りが無いのでシャノボ内は全くオープン。
何が起こってもすぐさま集団内に伝播するような、共認域をそのまま居住空間にしたような感じです。
Aとにかく、みんな充足基調
何か面白いことをいつも探している。泥かけ合戦もその後の水かけ合戦も綱引きも日常的行われている筈です。誰かが始めると直ぐにみんなが同調します。オープンな場なので、みんなが参加せずには居られない感じです。
みんな心の底から笑うし、その笑顔が美しい。充足感情が全体を包み込み参加者が多いほど充足度が大きいことをストレートに体現している。肩を抱き合うスキンシップの挨拶や釣りの合間にも花飾りに熱心な女性たちなどを見ていると、集団の充足基調の中心に女性がいるんだなと思いました。
B表情から人物を読み取る能力に長けている
外部からの訪問者を受け入れるかどうかは長老が判断してました。男の場合は村長が女の場合は女長老が対応します。今回は女優であったので女長老がじっと彼女の表情を観察していました。このときの真剣な眼差しとその後の笑顔との落差に本物を見抜く眼力の凄さを感じます。
女長老が肩を抱き受け入れると、次に村長が肩を抱く。すると全員が肩を抱きに集まってきます。集団の存続に係るような大きな責任ある課題の一端を女長老が担っています。また、リーダーの判断にはみんなが絶対的な信頼を寄せているのもよく判ります。
C泣く時は、みんなで泣く
番組で、みんなが涙を流して泣いているシーンは三回ありました。一つは先の女優が体調を崩して寝込んだ時。そして、祭りの日のクライマックスで今年死んだ男の子を偲ぶ時。もう一つは女優との別れのシーン。いずれも、みんなで泣く。特に今年死んだ男の子の場合は悲しみの有り様について考えさせられます。
日常規範では死者の名を口にすることはタブーとされています。みんなに災いをもたらすからです。その代わり、祭りで思いっきり楽しんだ後に、みんなで泣く。年二回の祭りの時にはみんなで悲しみを共有する。男の子は誰の子供と言うわけではなく、みんなの子供。
だから母親や家族だけが悲しむ必要はないのでしょう。
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