>序列原理といえば、すぐに江戸時代の士農工商を想定するが、考えてみれば、古来から’70年の貧困の消滅に至るまで、人々はこの序列原理を暗黙の内に認め合ってきていたのではなかったのか? (60401)
今まで私たちは、「近代になって身分制度はなくなった」と、学校やマスコミによって教え込まれてきた。それはとんでもないウソであった。現に、官庁や企業は、肩書きという身分制度によって統合されており、それなしには官庁も企業も動かないのが現実である。そもそも、「近代に身分制度は解体された」と教えている学校自体が、教師という身分に生徒が従う、という身分序列によって統合されている。
現実の社会の制度は序列原理でもってつくられているにもかかわらず、学校の教師や学者やマスコミは、そのことには口を閉ざし、自由・平等・人権だとか、「君たちには、無限の可能性が開かれている」などと奇麗事を叩き込む。そして、社会の統合原理については、何も教えないまま、生徒を身分制度でがんじがらめの社会に放り出す。そして、生存圧力が消滅し、序列原理から共認原理に転換したという、みんな共認の実現基盤を人々は発掘できないまま、どうしていいかわからず、思考停止していく。
学校やマスコミにとって、大衆は思考停止している方が都合がよいのではないだろうか。その方が、教師や学者やマスコミは「偉い人」「社会的な仕事をしている聖職者」という身分を確保し続けることができる。人々が社会の当事者として思考し始めれば、学校やマスコミが共認支配しているのはおかしいという所に行き着く。それは学校やマスコミの特権的身分が脅かされることである。とりわけ、第一権力であるマスコミは、大衆を同一視する気などなく、思考停止を飯の種にしているのではないだろうか。
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