日本人の起源(縄文・弥生・大和)
334850 出雲文化の開花〜四隅突出型古墳の時代
 
高梨俊寛 ( 55 プランナー ) 18/04/15 AM00 【印刷用へ
出雲風土記の世界よりリンク

−奇妙な形の墓−出雲ブランドの登場−
 神庭荒神谷での大量の銅剣や銅鐸・銅矛の発見、そして加茂岩倉での銅鐸の発見は、弥生時代後半(およそ2千年前)の出雲に豊かな青鋼器文化が花開いていたことを強く印象づけた。しかし青銅器が消えた後、古代出雲がどのような道をたどったのか。あまりに派手な青鋼器の陰に隠れて、このことは意外と知られていない。
 弥生時代の終わり頃(今からおよそ1800年前)、出雲を中心に奇妙な形をした墓が作られる。四角い高まりの四隅が突き出し、ヒトデのような形をしたこの墓を「四隅突出型墳丘墓」と呼んでいる。高まりの斜面に石を貼り、裾には石を立て並べた姿は壮観で、当時の出雲のいわばブランドマークといったところであろう。この墓こそ、青銅器文化の後を受けて花開いた出雲文化を物語る主役である。

−出雲の王墓−西谷三号墓の時代−
この時代の四隅突出型墳丘墓は、出雲で20を超える数が見つかっている。その代表が出雲市大津町の西谷三号墓である。西谷三号墓はさしわたし(直径)50メートルを超える大形の墳丘墓で、当時の墓としては全国最大級の規模を誇る。
 昭和58年から10年におよぶ島根大学による調査で、数多くの注目すべき事実が明らかになった。頂上の平坦面の中央から二つの大きな墓穴(第一主体部、第四主体部と呼ばれている。)が見つかり、それぞれ二重構造の木棺が置かれていた。棺の底には貴重な朱が一面に敷かれ、玉類や剣などの副葬品も見つかった。さらに二つの墓穴の上から数百個体に上る土器が出てきた。墓穴を埋めた後、大量の土器を使って盛大な祭りが行われていたらしい。第四主体では、巨大な四本柱に支えられた上屋があったことも明らかになった。
これらの調査成果からみると、西谷三号墓に葬られた人物は、出雲各地の有力者たちを束ねた「出雲の王」と呼んでもよいかもしれない。さらに彼の影響力は、一つ出雲だけにとどまらなかったようである。

−壮大な地域間交流−
 西谷三号墓の墓穴の上から出た土器をよく観察すると、地元出雲の土器に混じって見慣れない土器が合まれていることがわかる。一つは吉備地方(今の岡山県を中心とする地域)で墓の祭りに使われる大形の器台と壷、もう一つは丹後地方から北陸地方にかけての特徴を持つ土器である。どうやら当時の出雲の王の葬儀に、遠く吉備や越(北陸地方)から代表者が出席していたらしい。
これらの地域との密接な関わりを示すのはそれだけではない。それぞれの地域では同じ頃、やはり大形の墳丘墓が作られていた。岡山県楯築墳丘墓と福井県小羽山三十号墓である。それぞれの地域の王の墓である両者が、西谷三号墓とよく似ているのである。
 例えば楯築墳丘墓は西谷三号墓と同様の二重構造の棺を持ち、その底に莫大な量の朱を敷き詰める。小羽山三十号墓は同じ四隅突出型墳丘墓だ。墓穴を埋めた後の祭りも両者とも西谷三号墓とよく似ている。
この時期、中国の歴史書によると、倭(当時の日本)は戦乱状態にあったという。混乱した情勢の中で、西谷三号墓の主は、中国山地を超えて吉備の王と、日本海を通じて北陸の王と密接な関係を取り結び、出雲の存在を全国にとどろかせていたのではないだろうか。

−新しい時代への胎動−
 弥生時代の後期、近畿地方や北部九州地方で巨大な鋼鐸や鋼矛を使って祭りを行っていた頃に、出雲ではすでに青鋼器を使っていなかった。そして入れ替わるように四隅突出型墳丘墓が現れる。出雲ではいち早く伝統的な弥生の祭りを捨て、王個人を祭る四隅突出型墳丘墓の祭りを取り入れたようだ。神庭荒神谷や加茂岩倉に大量の青銅器を埋めたのは、古い祭りへの決別の儀式だったのかもしれない。
やがて大和政権による統一的な墓、「前方後円墳」によって地位や身分を表す時代がやってくる。西谷三号墓の時代からおよそ百年後のことだ。古墳時代の始まりである。きたるべき新しい時代への胎動は、出雲から始まったのかもしれない。
 
 
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