日本人の起源(縄文・弥生・大和)
316184 輝ける古墳造成時代
 
石山 巌 ( 42 コンサル業 ) 16/06/10 AM02 【印刷用へ
下記の記事を読むと、古墳造成は権力誇示のための墳墓ではなかったと解釈する方がスッキリ整合する。戦前までの常識(313488)も歴史教育(観念支配)によって歪められた恐ろしさを感じる。

■輝ける古墳造成時代(心に青雲 リンクより)

:::以下引用:::

「古墳時代」とは妙な呼称である。
 一応、三世紀半ばから七世紀末頃までの約400年間を指す。旧石器時代、縄文時代、弥生時代、の後に古墳時代が来て、次に飛鳥時代、そして奈良時代へと連なる。この時代は国内にも支那の歴史文献にも倭国の記述がなく詳細を把握できないため、「空白の四世紀」と呼ばれている。
 
[中略]

 歴史学会では、古墳はずばり天皇・皇族や地方豪族の墓だとされる。天皇や地方豪族が、人民を搾取し強権をふるって奴隷として酷使して、自らの権勢を後世に残すために大きな墓を建てたのだと、学校でも教わった。これは一つにはエジプトのピラミッド建設の解釈を模倣しているやに想像する。
 ピラミッドの場合は、奴隷を使役して王が墓を造るため、石材を積み上げさせたのだと解かれてきたが、それがウソで、実は山を崩して造ったものだと解明されている。

 古墳は、どこを見ても平らな土地に土を盛って造ってある。人工的な盛り土だ。もしも天皇や豪族の墓だとするなら、いったいその膨大な量の土砂はどこからどうやって運んできたのか。
 墓にするなら、自然の小高い丘にでも埋葬すれば十分なのに、なぜわざわざ平地に造らせたのか、はなはだ疑問である。

 古墳の周囲は平地だから、現在は住宅街か田んぼが広がっている。造られた当時も、田んぼか畑だったはずである。
 ここから、日本歴史学会の定説にぼちぼち異議が唱えられている。
 稲作は縄文前期には日本にあった。弥生時代に〈弥生人〉が渡来して持ち込んだのではない。ずっと小規模の水田で、河川や湖のそばにあっただけである。菜畑遺跡(佐賀県唐津市)を見れば明らかだ。

 それが古墳が造られる時代になると、かなり大規模化した水田が登場する。そして当然、稲の収穫量も飛躍的に増えている。
 これは大規模な灌漑工事が行なわれたことを指している。
 本来、自然の土地は起伏があって当たり前である。河口付近は土砂の堆積で平地が多いが、太古から手つかずの自然ならば、大なり小なり土地は真っ平らではない。

 そこを開墾して平らにならし、水田にする工事をすれば、大量の土砂が出る。灌漑だから、水路も確保しなければならず、また溜め池も掘らねばならない。どうしても掘った土砂を捨てなければならない。[中略]それで土砂を集めて、盛り土にし、古墳にしたのである。

 この説を聞いたときには感嘆した。そうだよな、と。
 古墳は各地にあるが、とりわけ近畿地方に多い。それはつまりヤマト朝廷が近畿で勃興し、強大な権力となったからである。そして大阪平野や奈良盆地などを灌漑して、余った土砂を小山にした。
 それによって、民は米がたらふく食べられるようになり、人口も増え、国家が隆盛していったのである。
 
 したがってサヨク史家が言うように、天皇や豪族が人民を奴隷としてこきつかって、見栄や私欲で墓を造らせたわけがない。
 みんなが食べられるようになり、食糧をめぐっての争いも減って、平和になって、どれほど人民が幸せになったか。
 仁徳天皇陵も灌漑で盛り土したところに、家来や人民が天皇は偉大な方だったとの感謝を込め、また死後も魂としてみんなを見守ってほしいと願って、その盛り土を利用して陵墓にした、というわけだった。結果として陵墓になったのだ。

[中略]

 もし、天皇や豪族が、人民の膏血をしぼりに搾る圧政をしていたなら、飛鳥、奈良、平安の時代の仏像が、どれもみんな穏やかな、慈愛に満ちた表情になるだろうか。これは直接の証拠だと言うつもりはないが、いにしえの人々の認識一般がそれら仏像の表情に、滲み出るはずではないか。

 要するに「空白の四世紀」とは、全国的に開墾、灌漑が盛んに行なわれ、米の収量が飛躍的に伸びた時期である。やはり「大和時代」の呼称のほうが良いだろう。
 七世紀末ごろに古墳の建設が行なわれなくなるのは、そうした古式の灌漑工事をやらずに済むようになったからだ。
 多くの土地が開墾され、土地が平らにされ、水路も発達していたから、新たに荒れ地を開墾しても、土砂は水路を利用して船でどこか(海?)に運んだり、大規模な堤防を造るのに利用されるようになったと言われている。

 実際、明らかに古い盛り土で古墳なのに、豪族の埋葬品もなく、墓とは言えないものが多いことが、古墳建設の目的が墓ではなかったことを示している。

 前方後円墳とか、形がいくつかパターンがあるが、それは盛り土が雨などで崩れないために固めたからだという。盛り土が崩れないよう、出来上がるまでは板で囲いをし、さらに周囲に溝を掘って、崩落に備えたので、仁徳陵のような巨大古墳には堀がある。
 盗掘を防ぐため、といいうより、土砂の固定のほうが大事だった。

:::引用終わり:::
 
 
  この記事は 313488 に対する返信です。
 この記事に対するトラックバックURL  http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_316184

  [戻る]  


◆実現論本文を公開しています。
 実現論 : 序  文
 第一部 : 前  史
 第二部 : 私権時代
 第三部 : 市場時代
 第四部 : 場の転換
 参考文献

 必読記事一覧
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28
大転換期の予感と事実の追求
実現論の形成過程
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(1)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(2)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(3)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(4)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(1)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(2)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(3)
自考のススメ3.自考力の時代⇒「少年よ、大志を抱け」(1)
自考のススメ3.自考力の時代⇒「少年よ、大志を抱け」(2)
1.これから生き残る企業に求められる能力は?
2.私権圧力と過剰刺激が物欲を肥大させた
3.市場の縮小と根源回帰の大潮流
4.共認回帰による活力の再生→共認収束の大潮流
5.自我と遊びを終息させた’02年の収束不全
6.同類探索の引力が、期応収束を課題収束に上昇させた
7.情報中毒による追求力の異常な低下とその突破口
8.大衆支配のための観念と、観念支配による滅亡の危機
9.新理論が登場してこない理由1 近代観念は共認収束に蓋をする閉塞の元凶となった
10.新理論が登場してこない理由2 専門家は根本追求に向かえない
11.学校教育とマスコミによる徹底した観念支配と、その突破口(否定の論理から実現の論理への転換)
12.理論収束の実現基盤と突破口(必要なのは、実現構造を読み解く史的実現論)
近代思想が招いた市場社会の崩壊の危機
新理論を生み出すのは、専門家ではない普通の生産者
現実に社会を動かしてきた中核勢力
私権時代から共認時代への大転換
市民運動という騙し(社会運動が社会を変えられなかった理由)
民主主義という騙し:民主主義は自我の暴走装置である
統合階級の暴走で失われた40年
大衆に逆行して、偽ニッチの罠に嵌った試験エリートたち
新理論の構築をどう進めてゆくか

『るいネット』は、50年の実績を持つ起業家集団・類グループが管理・運営しています。るいネットワーク事務局(Tel:0120-408-333, E-mail:member@rui.ne.jp