2105年5月に刊行された片山一道氏の「骨が語る日本人の歴史」という書籍を最近購入したが、この著書は歴史学といった先入観を排除して発掘された人骨という事実情報だけを元に縄文ー弥生ー日本の歴史を紐解いている。従来の教科書的歴史が扇動的で事実は別の処にあるという論点を多分に提起しており、非常にユニークで説得力のある著書だと評価できる。
いくつかこの本に書かれている「事実」情報をるいネットにも紹介していきたい。小見出しが非常に魅力的なのでそこと併せて紹介したい。
非常に文学的な表現の中に氏が提起したい事実情報が散りばめられているので注意して読んでほしい。
【縄文人は日本人の基層をなす】
縄文人の系譜と血脈、暮らしと文化、習俗と気質のようなもの、などなど、彼らの生き方と死に様はのちの日本人とアイヌ人たちの基層をなしたことだろう。大河の源流のようにして、のちの日本人の歴史の中で脈々と流れてきたのは間違いない。
彼らの人物像も生活像も独特ではあったが、どこからか特定の人々が「縄文列島」にやって来たからそうなったわけではない。まだ陸続きに近い状態だった旧石器時代に、東アジアの大陸方面から「吹きだまり」のように集まってきた人々が混合融合し、豊穣な自然に恵まれた「縄文列島」という舞台で、新しい革袋のなかで新しい酒が醸成するようにして、新しい人々、つまりは縄文人が形成されていったのである。その意味で「どこからも縄文人は来なかった」「縄文人は日本列島で生まれ育った」のである。そんな逆説的な言い方も可能なのではあるまいか。
地球の温暖化による「縄文海進」の結果、日本が列島化した縄文時代には、まるで時間が停止したように、緩やかに静かに流れていったに違いない。大陸世界とは、ほとんど没交渉だった。だからこそ、異貌異形の縄文人なる人々が生まれることになり、独特の人間の営みが育まれたのであろう。
縄文人はことに恵まれた海産資源のたまものなのか、次第に漁労活動に長けることになり、世界で最古の優秀な漁労民となった。だからこそ、世界に類をみないような貝塚生活が定着、派手な土器文化が栄えたのではあるまいか。土器類は「第二の胃袋」としてあるいは生活や文化、あるいは儀礼活動や交易活動などでの象徴的な存在となり、縄文人の生活を彩った。
もちろん、せいぜいのところが20万人ほどの人口規模でしかなかったのだから、なにも漁労活動に特化する必要はなく、採集民、狩猟民、園芸農耕民でもあり続けた。だがいかんなく生活の知恵を磨かなければならない漁労活動に長じるにつれ、縄文人の「なんでも屋稼業」は、よりいっそう磨きがかかったものになり、ユニークな装いを帯びるようになったのではなかろうか。
いずれにせよ、縄文時代とは、豊かな気候条件と生態条件に恵まれた時代。縄文人とは生活の知恵と知識を高度に磨いた日本列島ならではのユニーク人々。縄文文化とは、ことに土器文化や漁労文化などを見事に開花させた生活の総体。日本人の基層にあるメンタリティーや心象風景が息づいた時代なのだ。こうした時代を有していた事を、もっと日本人は誇りにしてよいのではなかろうか。
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縄文人の特異性とは大陸から切り離され、狭い国土に温暖、寒冷の両方要素が持ち込まれた事、火山帯によって作られた険しい山岳とその標高差が作り出す多様な動植物などが大陸では決して生まれない豊かさがそれを作り出した要因である。
その地域に海で囲まれて1万年以上の期間、孤立した日本列島でまるでガラパゴスのように熟成したのが縄文人だと言うのである。従って縄文人は骨相学の点からも他地域では現れない特徴をいくつも有しており、非常に注目すべき存在らしい。
その辺の著者の展開は以降の投稿で紹介していきたい。 |
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