古墳時代の豪族の連合政権的な性格が強い政権から、律令国家への橋渡しをしたのは、豪族から一歩抜きんでた勢力を形成した、蘇我氏の時代だった。蘇我氏は官僚機構(冠位十二階)を整備し、国史編纂事業を行い、「日本」国の名称を使い始めた。
そのために、高句麗からのブレイン恵慈を登用し、中国との国交が重要視され、遣隋使が派遣された。蘇我氏は表向き欽明天皇や推古天皇を戴きながら、これらの政策を構想したが、その後同じような形で藤原氏が執り行うようになる。
蘇我氏による国体形成 リンク より
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朝鮮の三国史記には継体天皇およびその皇子たちの異常な死に方が記載されており、実際は任那勢力である欽明天皇による政権奪取という形であったという説も出ている。
継体天皇から欽明天皇への政権移譲に活躍したのが蘇我氏で、欽明天皇以降、蘇我氏が実質的な執政者となる。6世紀半ばには権力の寡占化が起きていた。こうした中で残ったのが大伴氏、物部氏、蘇我氏などである。
☆蘇我氏の政策には大きく2つあった。一つは仏教による国内の統一、他の一つは朝鮮への不介入である。そのため、倭国王を朝鮮系の人でなく倭人から選出する事が必要であった。こうして選出されたのが、日本で最初の女王・推古天皇である。金官国系(任那系)の欽明天皇の子であった敏達天皇の后であり、かつ蘇我氏一族であった推古天皇は蘇我氏にとって都合のよい人であった。
当時、中国に成立した大国・隋は、次の目標として朝鮮侵攻を目論んだ。この時期の朝鮮半島の大半は高句麗の領土であり、隋の矛先は高句麗に向けられた。このことが蘇我政権と高句麗とを結びつける大きな要因となる。つまり、高句麗の僧・恵慈の来日である。
☆恵慈の来日後、蘇我・推古天皇のブレインとして恵慈による日本の国体形成作業が始まる。当時、国体を整えるということは中国から国土と王の身分が保証されることであった。したがって中国への使節と中国からの派遣使の受け入れなどが重要なテーマとなった。
また、独立国として重要な制度が官僚機構(冠位十二階)であり、王の家系であり国史であった。このため、恵慈と馬子は十七条の憲法を中国の梁にならってつくり、国王の家系として「帝記」をつくり、国史として「国記」をつくった。
それまでは「倭国」と称されていたが、新しい国の名前として以前大和地方の部族が使用していた「ひのもと」の呼び名をとり「日本(にほん)」と称するようになった。これにより倭国でもなく、ヤマト国でもなく、まったく新しい「日本」という国の誕生になった。
(注意)恵慈は対隋の外交にために冠位十二階と十七条憲法を作っているが、真の目的は、隋と高句麗の対立に対して日本を高句麗側につけるという任務であった。
これにより日本を治めるのは朝鮮系豪族ではなく倭人系豪族である蘇我氏と位置づけたのである。蘇我氏自身朝鮮からの渡来人であるが、このころは朝鮮系豪族というよりは、倭人系豪族としての色彩が強かった。この時期の朝鮮系豪族とは、朝鮮三国(百済、新羅、伽耶)の皇族との意味合いであり、これら朝鮮系皇族は日本でも貴人として扱われている。
(注意)大山誠一氏などは、当時の大王は推古女帝でなく蘇我馬子と見ている。これは遣隋使の帰国に随行してきた裴世清の本国への報告内容などから、当時の倭国王は「男性」と解釈されるためで、これに該当するのが蘇我馬子と考えられるためである。
恵慈の政策が、すべて蘇我氏とくに蘇我馬子の政策と一致したわけではない。仏教の普及という基本路線では一致していたが、外交では隋と手を握りながらの国体を考えていた蘇我氏に対して高句麗支援の立場の恵慈とは違いがあった。
一方、欽明王朝の流れを汲む厩戸皇子(聖徳太子のモデルとなった人)の伽耶奪還のための新羅への軍事行動に対して蘇我馬子は2度も反対し計画をつぶしている。このことから蘇我氏は隋との外交樹立を希望はしているが、朝鮮半島の百済、新羅、高句麗などとの対立は望んでいなかったことが伺える。
☆こうした中、610年大きな出来事がおきた。それは隋帝国の滅亡である。隋と協力関係にあって日本の国体を構築しようとしていた蘇我馬子にとっては国内での立場を根底から覆すものであった。
(注意)隋が滅んだ直接的な原因は内紛であった。隋の二代皇帝・煬帝は高句麗を三度も攻めながら成果が上がらなかった。このことで隋帝国は求心力を失い内紛が起き滅亡した。つまり、高句麗が間接的にではあるが隋を滅ぼしたことになる。
隋滅亡後は朝鮮貴族の廃絶という構想が半ば挫折した蘇我氏は、方針を百済や高句羅との協調関係強化という方向に変更し日本の律令制度の確立に向けて準備を進めた。しかし、馬子の時代には律令制度は導入されることはなく、その意志は孫の「蘇我入鹿」によって推進されることになる。
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(引用以上) |
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