日本人と縄文体質
260139 鎌倉時代の撫民政策(撫でるように民を大事にする)
 
新川啓一 ( 40代後半 神奈川 建築家 ) 12/01/03 AM03 【印刷用へ
歴史的に、日本の支配者層は大衆への配慮(村落共同体を壊さない)を行い、大衆はお上意識によって社会統治を支配者に任せ切ってしまうという、独特のシステムを続けてきました。
鎌倉時代、公家から武士へと支配者が替わっていった際に、より大衆に近い武士たちは大衆への配慮を深くして行きます。

鎌倉時代、北条時頼が始めた「撫民政策」(民を撫でるように大事にする)についてお届けします。

中村孝之氏のブログから、
「NHKさかのぼり日本史
鎌倉 ”武士の世”の幕開け 北条時頼 万民統治への目覚め」
リンク
を紹介します。

(以下引用)
(前略)
鎌倉時代の初期、武士は農民に対して略奪を繰り返していました…その為、村から逃亡する農民が相次ぎ年貢収入が減少、幕府は存続の危機に晒されました。

事態を打開しようと時頼が始めたのが撫民(民を撫でる)政策でした…農民を撫でるように大事に扱おうというのです。…これを浸透させるために時頼は、禅宗を通して武士に慈悲や忍耐の精神を学ばせ武士そのものの在り方を変えようとしたのです。

やがて武士の中に撫民の心が徐々に芽生え、公家に代わる新たな統治者としての自覚が高まります。

東京大学史料編纂所 准教授 本郷和人
「やはり撫民というのがあって武士が新しい統治者になる事によって古代以来の秩序が解体していく…という事は、日本の社会において大きな変革だった」

万民の統治者として成長し始めた武士、武士の歴史を大きく変えた鎌倉時代の政策の実像に迫ります。

東京大学史料編纂所 准教授 本郷和人
「撫民というのは、民を可愛がろうという政策ですが…考元々武士というのは戦闘に従事する戦士なのです…その戦士が統治者にいつなったのか、という事を考えた時に撫民というのは画期的な政策だったのです」

「つまり民を可愛がろうね…民衆を大事にしようね…民衆を統治しようねと言い始めたのですからこれを持って戦士が統治者に変わったんだと言えるのです」

■撫民政策が開始される以前の時代とは?
鎌倉時代初期 統治に未熟な武士
12世紀末、源頼朝は、鎌倉に日本史上初めて武士による政権を打ち立てます…鎌倉幕府です。それまで公家の土地を管理していただけだった東国の武士たちは、以後、御家人と呼ばれ土地を手に入れ、年貢を自らのものとしていきました。

ところが朝廷の支配から解放された武士の中には、年貢収入だけに飽き足らず、農民に不法行為を行う者が現れます。

この頃、農民から幕府に出された抗議文には、「夜中にあまたの武者が乱入…物品をことごとく奪う」…幕府が支配する東国では、耕作を放棄する農民が続出、ある村では人口の半分以上が逃亡する事態にまで発展します。…その結果、武士の中には、農民から十分な年貢を集められなくなる者も出てきました。

貞永元(1232)年、こうした状況を打開しようと幕府は初めての法令を定めました…”御成敗式目”です…「農民の家から物品を奪い取ったとしたら速やかに返すように」、この法令によって武士の規律を正し農民から安定的に年貢を集めようとしたのです。

しかし、頼朝が亡くなった後、幕府では有力武士同士の権力闘争が熾烈を極め、幕府の統率力は失われていました。法令を制定しても末端の武士たちまで従わせるには至らず、農民からの収奪は依然として止む事はありませんでした。
(中略)

■北条時頼の撫民政策
鎌倉の古刹・建長寺(鎌倉市)は、鎌倉幕府の5代執権・北条時頼によって建立されました…御成敗式目の制定から14年後、幕府の実権を握った人物です。

時頼が執権に就いた13世紀半ば、幕府の中には依然として有力武士の権力闘争が続いていました…時頼は、当時最大の勢力を率いて幕府に反乱した三浦氏を攻め滅ぼします。

これによって自らの地位を確固たるものとし、幕府の政治の安定に乗り出します…時頼が最も心血を注いだのは法令を無視して農民に不法行為を繰り返す武士たちの統制でした。

その政策を伝える資料が東京大学に残されています…御成敗式目の後に出された追加法をまとめたものです。…建長5年、時頼が始めたのが撫民政策でした…年貢収入の基となる農民を撫でるように大事に扱おうというのです。

「民が大金を盗むという重罪を犯しても本人一人の罪であり、親類妻子まで罪に問うてはいけない」
「民と掴み合いをしても武士にけがが無い場合は、罪に問う事は出来ない」

時頼は撫民政策に従わない武士たちに厳しい処罰を課していきます。

東京大学史料編纂所 准教授 本郷和人
「この時期から幕府は、民を必要以上に痛めつける武士を罰する方向にいきます…ここが大変大きな転換だと言えます…たとえば武士の私財を取り上げてしまったり、名誉ある地位を剥奪したりします」

更に時頼は撫民政策を浸透させる為、武士そのものを変えようとします…日本に伝わって間もない禅宗を取り入れ、建長寺を建立、厳しい修行を通して武士たちに慈悲や忍耐の精神を学ばせたのです。

また作務と呼ばれる寺の日常的な労働に取り組ませる事で決まりごとを遵守する素地を植え付けていきました…。

大本山建長寺派 高井正俊
「自分たちが生きていく日常的なことをやる中で人間の力をつけていく…そういう事なんです」

その後、幕府は鎌倉に次々と禅寺を建立、有力武士から末端の武士まで修行を奨励しました…こうして武士の中に民をいたわる撫民の心が徐々に芽生えて行くのです。

Q:つまり武士のスタンスの大転換なのですね。
東京大学史料編纂所 准教授 本郷和人
「長期的に安定的に収穫を望もうと思ったら、その土地に対してケアをしなけれないけない…そうなると民衆と真摯に向き合うということが必要になってきたのです…そこで出てきたのが撫民という言葉です」

「日本は、乱暴な殺伐とした歴史が他の国と比べると無いのです…その中でも一番権力闘争が激しかったのが鎌倉時代の初めなのです…次から次へと有力な御家人が倒されていく…最後は北条氏が勝ち残ったのですが御家人たちはへとへとになってしまって…ここいらで精神、心の充実を図ろうというようなことが気運として盛り上がってくるのです」


■徐々に浸透する撫民政策
撫民政策を推し進めた時頼は、幕府の裁判の在り方にも取り組みました…それまでは、民の訴状は中々受け付けられる事はありませんでしたが…人員、部署を増設し民の訴状にもキッチリ対応できる体制を組みました。

訴訟が公正に行われるようになって武士の農民に対する態度は、次第に変わって行きました…時頼に仕えた幕府高官が残した家訓です。
「百姓をいたわりなさい…頼み事があるときは、おんびんな態度でお願いしなさい…屋敷に百姓が訪ねてきたら酒の一つでも振舞ってあげなさい」

鎌倉時代中期、武士の間に広まった撫民の心、武士たちは公家に代わる新たな統治者として目覚めてゆくのです。

北条時頼の撫民政策によって武士は民衆の利益を優先する統治者へと成長し、東国において、その統治の経験を重ねて行ったのです。
(以上引用終わり)
 
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