日本人と縄文体質
253788 日本の儒教 韓国の儒教
 
2U 11/07/01 PM05 【印刷用へ
韓国といえば儒教の国。
儒教とは、
五常(仁、義、礼、智、信)という徳性を拡充することにより五倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)関係を維持することを教える。リンク

上下関係に厳しいというカタチ上の教えだけでなく、五常という「徳性を拡充」することが、その教えの中心にあるはず。

ところで、極東アジアの支配の歴史2 現代韓国事情リンク からみえてくるのは、お金に執着し、利己的な行動をとるという、およそ五常の教えとは真反対の行動ばかりです。

なぜこのように儒教の教えは姿を変えてしまったのか?。

日本での儒教・韓国での儒教の浸透度について調べてみました。

ヤフー知恵袋から参考になる意見をピックアップしてみます。
リンク

>儒教は南宋の時代に道学・朱子学など他宗教をミックスした考え方が生まれましたが現在儒教と言えばこのときに生まれた物を一般には指し古代の儒教とは全く違うものです。
朝鮮の場合、元々土着の民族ではないので土地に根ざした伝承や神話は全く存在しません。
なので朱子学をある意味信仰として受け入れた形になりそれが李朝の政策の関係もあり朝鮮特有の異質な朱子学に変化したのです。
日本の場合は元々土着の民族であり土地の信仰も残っています。
朱子学はあくまで教養でありそれよりも数学や幾何学の方が活発に江戸時代は学ばれていました。
これを実学と虚学という言い方をしたりしますが江戸時代に儒教が教養で学ばれていたのは事実ですが核として心酔する人が出てくるのは尊皇攘夷思想が広まる幕末のことです。
朝鮮は官僚が王になった国なので儒教で押さえつけていたのに対して,日本は多様な政策で民心を得て幕政を運営していたのがその違いです。


>日本には、もともと神道があったこと、陽明学を受け入れたこと。
この2点が、日本独自の儒教観を形成したのではないかと思います。
山崎闇斎のように神道と朱子学を融合させる考え方があったのは、日本の大きな特徴だと思います。
神道と儒教を融合というよりは、神道の教えを、儒教の言葉を借りて表現したと言ってよいかもしれません。
もう一点は、陽明学です。日本陽明学の祖と言われる中江藤樹の記念館が滋賀県にありますが、そこを韓国の儒学者が訪れた時、中江藤樹が儒者の衣装を着ておらず、武士の装束を着ている肖像画をみて、「中江藤樹は儒学者ではない」といったそうです。韓国では、支配層の立場を揺るがす恐れのある陽明学が根づかなかったのに対し、日本では、幕政で朱子学が取り入れられる一方で、民間では、陽明学が浸透していったのが大きな特徴だと思います。特に、陽明学は、吉田松陰、西郷隆盛などの明治維新の志士に大きな影響を与えます。

神道と陽明学・・・・これが中国や韓国の儒教との違いとして表れているのではないかと思います。


>孔子の直系子孫、チャイニーズドラゴンの孔健氏曰く
"孔子の教えは、中国で生まれ日本で実を結んだ"
儒教の深淵を、最も色濃く継承しているのは日本だと思います。


>個人的には、確かに、日本の儒教は日本独自のもので、儒教とは呼べないようなものだと思います。

いくつか理由があると思いますが、科挙の制度が根付かなかったのが一番大きな原因だと思います。
何故、定着しなかったかはよくわかりません。
鎌倉時代、応仁の乱から戦国までは、武による個人主義の時代なので、問題外として、室町(応仁の乱以前)と江戸時代は根付く可能性があったような気もします。
結局は、中国からほぼ完璧に離れたのが早かったので、ヨーロッパやアラブと同様、中国の制度なんか関係なく、世襲メインの独自の体制が出来たのかもしれません。
朝鮮半島は祖国防衛というより、中国の影響を常に強くうける位置関係にあるからだと思います。

西洋諸国に晒された日本が独自の道を歩めたのは、単純に当時の武に対する意識と結果としての武力の影響だと思います。
その証拠に、武に対する意識と結果としての武力がなくなった時点(江戸末期)で自らヨーロッパ化されていき、その後、それを取り戻した時点で、又、独自の道(国家神道から太平洋戦争へ)を歩みだしますし。
その後は又、独自の物が残ってるのは当たり前なんですが、大きな枠組みではアメリカ化された(今でも)と思います。


>日本こそ、儒教にドップリ漬かった国ですよ。
日本は神代の国と云いますが、皇室・公家は仏教を取り入れそれを国民に広げて国難を乗り越えようとし、武家は「忠孝」の教えを主体とする儒教をもって秩序と統一を図っていました。
儒教の中でもその一派である朱子学が日本に好まれ広がりました。
また、寺子屋では、読み書きソロバンを教えていたそうですが、「読み」といえば論語の素読が主でした。
さらに、日本各地に儒学の専門学校が建てられ、それに付随して孔子廟が建てられ今も祀られています。
次に、武士道の徳目は、儒教を基にした思想ともいえます。
新渡戸稲造が著した『武士道』は、まさに儒教ですね。
また、戦前の道徳の教科書とも言える「修身」でも、儒教の影響が色濃くあり、それが日本人としての固有の精神「大和魂」として残っています。
このように、儒教は日本の社会の深部に浸透して、それを要素にした日本独特の文化を形成している点が、韓国のそれとは異なっていると思います。
その証拠に、東日本大震災の日本人の行いを見れば明らかでしょう。
「忠恕惻隠」。
自然に儒教の教えを実践しています。
つまり、教条的な教えがなくても、日本人の中に身についていると言えると思います。


>韓国の場合、日本に遅れて朱子学が入り、それが国教にもなったようですが、それはあくまでイデオロギーであって、それを制度として政治利用しただけで、日本のように国民の心の深部にまでは浸透していないようですね。
韓国民の原体質まで変化をもたらしたというのは、朱子学を取り入れて以来、韓国は官僚主体の闘争体質になったと言うことです。
ある意味、これは日本の官僚の体質にも見られますが・・・。

◆まとめ
・孔子が唱えた儒教と、現在の(韓国に浸透した)儒教は異なり、それは朱子学を中心とした南宋(1200年頃)以降のもの。
・日本では、陽明学、神道のほか土着信仰も根付いており、多様な思考が生まれた。これに対して韓国は儒教を体制維持のためのお題目として序列体制強化に使われる。
・日本に科挙制度は根付かず、これが儒教の絶対的浸透に繋がらなかった。
・一方寺子屋を中心とした「読み書き」の学習では、論語が広く使われることで、五常の教えが教条主義的でなく、自然と身に付いた。

※いずれにしても、イデオロギーで儒教をとらえるか、「読み書き」=輪読・音読として自然に(五常=本源規範)身につけるかの違いが大きいようにおもいます。
 
 
  この記事は 253665 に対する返信です。
 この記事に対するトラックバックURL  http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_253788

  [戻る]  


◆実現論本文を公開しています。
 実現論 : 序  文
 第一部 : 前  史
 第二部 : 私権時代
 第三部 : 市場時代
 第四部 : 場の転換
 参考文献

 必読記事一覧
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28
大転換期の予感と事実の追求
実現論の形成過程
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(1)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(2)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(3)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(4)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(1)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(2)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(3)
自考のススメ3.自考力の時代⇒「少年よ、大志を抱け」(1)
自考のススメ3.自考力の時代⇒「少年よ、大志を抱け」(2)
1.これから生き残る企業に求められる能力は?
2.私権圧力と過剰刺激が物欲を肥大させた
3.市場の縮小と根源回帰の大潮流
4.共認回帰による活力の再生→共認収束の大潮流
5.自我と遊びを終息させた’02年の収束不全
6.同類探索の引力が、期応収束を課題収束に上昇させた
7.情報中毒による追求力の異常な低下とその突破口
8.大衆支配のための観念と、観念支配による滅亡の危機
9.新理論が登場してこない理由1 近代観念は共認収束に蓋をする閉塞の元凶となった
10.新理論が登場してこない理由2 専門家は根本追求に向かえない
11.学校教育とマスコミによる徹底した観念支配と、その突破口(否定の論理から実現の論理への転換)
12.理論収束の実現基盤と突破口(必要なのは、実現構造を読み解く史的実現論)
近代思想が招いた市場社会の崩壊の危機
新理論を生み出すのは、専門家ではない普通の生産者
現実に社会を動かしてきた中核勢力
私権時代から共認時代への大転換
市民運動という騙し(社会運動が社会を変えられなかった理由)
民主主義という騙し:民主主義は自我の暴走装置である
統合階級の暴走で失われた40年
大衆に逆行して、偽ニッチの罠に嵌った試験エリートたち
新理論の構築をどう進めてゆくか

『るいネット』は、48年の実績を持つ起業家集団・類グループが管理・運営しています。るいネットワーク事務局(Tel:0120-408-333, E-mail:member@rui.ne.jp