>244798【ローマの出自1】Y遺伝子分布と地理特性から→ローマの出自は特異な存在>
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前8世紀ごろのイタリア半島は、南の海岸部にギリシア人、中央の内陸部にラテン人(→ローマ人)、北の海岸部にエトルリア人が存在した。
『2000年前のヨーロッパにおけるY遺伝子の分布図』(参照:リンク )から見ると、ギリシア人は「J2系(セム族)」、エトルリア人は「J2系(セム族)+E系(ハム族)」が支配的であるのに対し、ギリシアとエトルリアに挟まれたローマは「R‐S28系」と西ヨーロッパの系統になっている。
【西ヨーロッパ(R‐S28系)⇔エトルリア(J2系+E系)⇔ローマ(R‐S28系)⇔ギリシア(J2系)】
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Q.なぜ、全く出自の異なるラテン人(ローマ)が、エトルリアとギリシアに挟まれて、イタリア半島に侵入し居住するようになったのか?
それは、2つの理由を想定できる。
★ローマ人(ラテン)の地が、2700年前頃のエトルリアとギリシアにとって、魅力の無い地であったから。(参照244817【ローマの出自4】)
★イタリア半島に侵入したラテン人は、部族(集団)でなかったから。
(集団移動なら、進路になるエトルリアに阻まれるはず。)
(参照244807【ローマの出自3】)
だとすると、ローマ人の出自は、西ヨーロッパでの戦争の敗者の落人か、集団からのはぐれ流れ者が、エトルリアとギリシアの影響の少ないイタリア半島の中部ラティウム地方に逃げ込み定住し、山賊になった集団と考えられる。
それが3600年前の印欧語族ウンブリア人と3200年前の印欧語族ラテン人で、ローマの出自ではないだろうか。
そこから、少しずつ略奪を繰り返し取り込み拡大し、ローマ帝国に至るようになった。
とすると、西ヨーロッパの印欧語族がイタリア半島に侵入するようになった、3600年前と3200年前の西ヨーロッパの状況、特にケルト人、スラブ人、ゲルマン人などの動向を抑える必要がある。
それにしても、クレタ〜ギリシア〜エトルリア〜(ローマ形成時)と見てきたが、原白人との混血で白人色が強まるにつれ、共同体を喪失して自我・略奪性が増し、戦争(略奪闘争)が激しくなっている。
Q.なぜ、原白人は、自我・略奪性がそこまで強いのだろうか? |
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