前8世紀ごろのイタリア半島は、南の海岸部にギリシア人、中央の内陸部にラテン人(→ローマ人)、北の海岸部にエトルリア人が存在した。
『2000年前のヨーロッパにおけるY遺伝子の分布図』(参照:リンク )から見ると、ギリシア人は「J2系(セム族)」、エトルリア人は「J2系(セム族)+E系(ハム族)」が支配的であるのに対し、ギリシアとエトルリアに挟まれたローマは「R‐S28系」と西ヨーロッパの系統になっている。
【西ヨーロッパ(R‐S28系)⇔エトルリア(J2系+E系)⇔ローマ(R‐S28系)⇔ギリシア(J2系)】
これは、ローマの出自を考えるうえで、興味深い。
地図を眺めればわかるが、地理的連続性の中で、なぜローマの出自が分断されているのか?
もしくは、なぜ、エトルリアの出自が分断されているのか?
このことを理解する上で、まず、エトルリアの起源を整理し、そこからローマの出自を考えてみます。
◆関係する年表
@7000年前:コーカサス地方の原白人の一部がメソポタミアへ南下し、原住民(黒人)と混血【シュメール人】
・・・≪※1回目の原白人の混血(基層は黒人)≫
A5700年前:寒冷化・乾燥化に伴いコーカサス地方の遊牧部族の原白人が第二次南下。このうち、小アジア・地中海東部・アラビア半島へ行った一派が【セム族(J2系)】となり、エジプト・エチオピア方面へ南下した一派が【ハム族(E系)】となった。
・・・≪※2回目の原白人の混血(基層はシュメール人で白人色が高まる)≫
B5000年前:地中海地方に(少数の)セム族もしくはハム族が侵入し、黒人原住民と混血【クレタ人】。(4300年前ヨーロッパ青銅器時代(エーゲ文明)、4000年前クレタ文明)。
・・・≪黒人色への揺り戻し≫
C3800年前:温暖化に伴い、コーカサス地方にとどまっていた原白人(=印欧語族)が第一次大移動で南下し、小アジアで先住民(セム族)と混血し3700年前にヒッタイト王国が成立。
・・・≪※3回目の原白人の混血(基層はセム族で白人色が高まる)≫
また、地中海では、印欧語族のアカイア人が原住民(Bのセム+黒人の混血)と混血【ミケーネ人】
・・・≪※ミケーネ人も3回原白人と混血した人種になる≫
D3200年前:“海の民(243790)”によりヒッタイトが崩壊。 |
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