次に朝鮮半島の鉄の歴史を見ていきます。
HP「日本刀考」リンクより要約します。
【朝鮮半島への鉄の伝播の歴史】
製鉄起源は明確ではない。無文土器時代の中期(前4世紀〜)、中国戦国文化と接触し、鋳造鉄器が出現する。その後、鋳造鉄器の製作が始まった。前漢(B.C202年〜)の武帝は朝鮮北部に進攻し、楽浪郡など漢四郡を設置した(B.C108年)。
これが契機となって鉄資源の開発が促され、鉄生産が一層進展したと見なされている。
これ等は中国植民地政権の影響が及ぶ朝鮮北部に限定され、且つこの時期から、鉄製品に鍛造品が出現する。
半島北部の資源分布の特性で、鉄鉱石を原料とする間接製鉄法が主であったとされる。半島の高品位な鉄鉱石は黄海道西部から平安道の西北に集中し、東南部と南西部に高品質な砂鉄が分布していた。
3世紀、魏書東夷伝弁辰の条に「国、鉄を出す。韓、わい、倭 皆従がいて之を取る。・・・・また以て二郡に供給す」とある。半島南部は「韓」と呼ばれていた。三韓の内、実力がある辰韓は外国から多数の製鉄専門家を集めて最も鉄治の技術が進んでいた。
辰韓・弁韓では鉄資源の開発と鉄生産が隆盛し、辰韓、弁韓の鉄が楽浪・帯方二郡に供給され、鉄生産の一大拠点となっていた。
その理由は高品質な砂鉄にあったと言われている。江南からの技術伝播によって南部朝鮮は直接製鉄法が主であったとされるが、最近南部朝鮮の直接製練法が、どこかの時期に間接法に転換したとの注目すべき報告がある。
(以上要約)
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朝鮮半島の製鉄の歴史は中国への供給を目的に、紀元前1世紀頃からおそらくは中国の鉄技術が人と共に大量に注入された事と思われる。中心は辰韓(後の新羅)弁韓(伽耶連合)にあり、戦乱に明け暮れた1世紀から3世紀の半島は鉄を巡る争いに終始していたとも言える。
それまで何もなかった南部朝鮮の国力はわずか500年の間に大国中国や高句麗と対抗できるまでに高揚し、ついに8世紀には新羅が半島を統一する。この朝鮮半島の情勢に中国の鉄が絡んでいた事はほぼ間違いなく、最終的に新羅が唐の力を得て半島を統一したのも鉄資源と生産を担う新羅や伽耶の中心地を押さえていたからではないだろうか。 |
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