伝播から製鉄技術の完成まで中国の鉄の歴史を俯瞰してみる
●殷・周時代(紀元前10世紀)
河北省で最古の鉄器が発見される。
●春秋末から戦国初期(前4〜6世紀)
〜江蘇省程鎮1号墓から白銑鉄の鉄塊・2号墓から海面鉄鍛造の鉄棒出土
銑鉄と錬鉄の両方が存在した。ただし、この時代の鉄器は大半が鋳鉄製。錬鉄の硬化技術がまだ、十分に開発されておらず、鍛造製のものはごくわずか。鋳造製の硬いが脆いという弱点は刃を脱炭することによって克服され、実用農工具に鉄器が使われていく。
●戦国後期(前2、3世紀)
〜河北省燕下都44号墓出土の鉄戟・鉄矛・鉄剣など鉄製武器が急増〜
海綿鉄(錬鉄)を鍛造したもの・表面を硬化させて鋼にしたもの・さらに焼き入れたものなどを錬鉄に硬化させる技術の進展を示す。
●秦(前2世紀)秦始皇帝 中国全土に鉄官配置
〜前119年 前漢 武帝の時代には鉄官が49ヶ所に及ぶ。〜
●前漢(前1世紀)
〜河北省鉄生溝の製鉄遺跡では海綿鉄を生産した炉と銑鉄を生産した炉のほかに銑鉄を脱炭して鋼とした製鋼炉や炒鋼炉と呼ばれるものが出土。
●後漢
大量量産が可能な溶融銑鉄法による銑鉄生産が中心になるとともに、鍛錬技術も発達
製鉄炉の改良がすすみ大型化する。
省古栄鎮製鉄炉では内容積50m3にも達する。(直径5.95m、高さ4.59m)
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世界にさきがけて、溶融銑鉄法が中国でいち早く始まった理由はさまざまに推測されているが、紀元前15世紀頃から始まったと言われる青銅の溶解や陶器の製作で、炉を高温にする技術が発達していたことや、石炭を使うことが原因だったと考えられている。
中国の鉄の製造はその後の大量生産に繋がる間接製鉄法を早くから導入した華北と直接製鉄法の技術を高度化しながら発展した江南地方の北と南に大別される。
華北では、青銅の溶解に用いた合理的な製陶窪(くぼ)は1,280℃の高温を得ていたといた事がわかっており、この技術を利用して早くから鋳鉄技術が始まり、春秋戦国時代では大半が鋳鉄製で利器に使われていく。紀元前5世紀頃には鋳鉄の脆さを克服する焼き鈍し技術も発見された。
一方で江南地方では初期に中国に伝わった海面鉄の直説法がそのまま発達し、紀元前2−3世紀頃より皮鞴に替わり手押し〜足踏みフィゴが登場して炉内温度が改善され品質が向上し、海綿鉄を洗練した錬鉄で武器を、鋳鉄で農工具を造るという2つの製鉄法が広がっていく。漢の時代には製鉄技術は完成の域に達していた。
その後、近代までは大型炉で大量安定生産ができる溶融鋳鉄法が製鉄の中心になる。
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中国の鉄の歴史の最大の特徴は紀元前に既に大量生産できる間接製鉄法の技術を確立していた点にある。また東アジア全体の鉄技術の高度化は中国発であった可能性が高く、紀元前3世紀頃に楽浪郡から朝鮮半島に入り込んだ中国の目的は半島にある大量の鉄資源だった。 |
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