日本人と縄文体質
190761 五世紀から始まる東国における高句麗人の足跡
 
田野健 HP ( 48 設計業 ) 08/10/26 PM10 【印刷用へ
古代、東国と呼ばれる地域がどこにあったか、様々な説があるが概ね以下の3つにまとめられる。
@日本書紀の壬申の乱の記述によれば東国は尾張国や伊勢国を示しており、そこから推定すれば鈴鹿より東側の地域にあたる。
A律令制に導入された防人を出すべき「東国」として定められたのが遠江国・信濃国以東(陸奥国・出羽国除く)13ヶ国に限定されており、現在の日本アルプスと呼ばれる山々の東側の地域である。
B最近では関東地方と称せられるこの地域を坂東・東国と呼ぶ例が多い。

この東国で五世紀〜7世紀の間に各地で高句麗人による集落が形成された。HP著者の竹井氏は高句麗からのルートが長野から関東に多い理由を以下のように分析している。
>長野は高句麗の渡来文化の影響が強いところである。百済からは新羅を横切って日本海を渡るしかないし、大和からの距離もある。一方で高句麗からは日本海を渡れば、糸魚川から簡単に入ってこられる。高句麗の故地は冷涼な山岳地帯で、狩猟文化+農耕文化を持つ彼らの生活基盤とよく似た自然条件だからである。

■大室古墳群〜長野県
大室古墳群は長野市の南、松代にある。日本最大の積石塚古墳群である。全部で 500基。盛土墳や土石混合墳もあるが、8割近くが積石塚とされる。これらは5世紀から 8世紀にかけて作られた。積石塚は中国東北地方に拠点を持っていた頃の高句麗で発生して、百済に伝わる。
大室古墳群からは馬の生産と関係する物が出ている。168号墳からは墳丘の裾周辺から土師器、須恵器のほか、土馬が発掘された(168号墳は古墳の周りに浅い溝が巡っていて、全体として方墳の様に見える古墳である)。馬の使用も高句麗人の文化である。後の時代になれば、東山道を通じて大和と結ぶ交通の要地にもなっていき、新たな高句麗人も配置され「牧」が作られた。大室にも「大室牧」があったと言われる。リンク

■埼玉古墳群〜埼玉県
埼玉県中部の埼玉古墳群は、利根川と荒川が出会い乱流を始めていた関東平野の中にある。5世紀末の稲荷山古墳から突然大古墳が出現し、7世紀末の薄葬令まで続く。群馬の保渡田古墳群の末期から綿貫観音山古墳の時期である。群馬地域の大古墳が少なくなり、一方で南武蔵の古墳の規模も小さくなる。
一番古い稲荷山からは雄略天皇の名前の入った鉄剣が発見されるとともに、渡来系の文化の影響である馬具が出る。稲荷山の100年後、6世紀後半に作られた将軍山古墳は横穴石室が採用されたもので、高句麗古墳の壁画や新羅の古墳から出てくるような多くの馬具が発見されるなど、朝鮮半島とのつながりが深い。稲荷山で発見された馬具とは比べものにならない規模である。特に馬兜や旗竿が出ているが、馬兜は将軍山以外には和歌山で一例発見されているだけである。リンク

■保渡田古墳群〜上州
保渡田古墳群は5世紀半ばの50年ほどの間に作られた3つの前方後円墳(愛宕塚(二子山)、八幡塚、薬師塚)である。この地域に短期間で力を持った豪族の首長の墓である。墳丘は3基とも100mをこえ、2重の堀が巡り、堀の中に供養のための中島がある。この中島はこの地域に特徴的なものである。
八幡塚は作られた当時の姿に復元されていて、葺石つくりの威容をほこる。副葬品からは渡来人との関係を示す馬具がでてきた。渡来人(特に高句麗系)は馬に関する技術も導入して、長野、群馬の東山道筋には多くの「牧」があった。
保渡田古墳群からほど近いところには積石塚(谷ツ古墳=埋戻済)も発見され、そこからは朝鮮系の金の飾履が発見されている。この地域に渡来人の勢力が関わっていることが分かる。葺石自身も渡来系の積石塚に属するが、谷ツ古墳は上方下方墳で上は完全に積石である高句麗古墳や百済の初期古墳の影響が見られるものである。リンク

■高麗神社
埼玉県西部の日高市は1896年まで高麗郡とよばれていた。716年に関東近縁にすんでいる高句麗人 1799人をここに移して高麗郡を置いたと記録にある。高句麗人が中心となって開拓した。付近は縄文時代までの遺跡はあるが、古墳時代、奈良時代の遺跡はほとんどないそうである。
高麗神社は、高句麗人の長、高麗王若光を祭った神社である。高句麗は668年に新羅によって滅亡しているが、若光は666年に外交使節として来日したことになっている。リンク
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東国の歴史は書紀にも古事記にも殆ど登場しない。しかし高句麗が朝鮮半島を南下して支配したこの時期、日本海を越えて大量に高句麗から渡来した足跡がある。大和と東国2つの日本が確実にあった。
歴史の表舞台に登場しなかった彼らが天皇家とどう関わり、その後の日本の渡来人文化にどれほどの影響を与えてきたか、これも日本人の起源を考える上で避けて通れない追求課題である。
 
 
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