>青銅器の発明が、掠奪闘争に対する縄張り防衛を可能にして、一気に農業を基にした都市国家の成立を可能にしたようです。(-13246)
関岡e-歴史研究所より(リンク )
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もともと南部のメソポタミアは、
中東における最大の農業のポテンシァルをもっていた。
しかし肥沃な平野は、防禦という点では最悪であった。
メソポタミアで初期の頃農業を始めた人たちは、
たとえいたとしても、
それが他人の眼に魅力的に写る規模に達した段階で襲われ、
悲惨な目に会ったにちがいない。
そんな肥沃な土地に農業を発展させる可能性は、ただ一つ。
城壁で囲まれた場所をつくって富を貯蔵し、
かつ危機が迫った時そこへ避難できる社会的システムをつくり出せばよい。
それが青銅の出現によって可能になったのだ。
(中略)
青銅の効果は絶大であった。
メソポタミア南部に青銅がもたらされたのが、BC3500年頃、そして
メソポタミア南部が「原文字期(Protoliterate-Period)に入るのが、
その直後のBC3400年、BC2900年頃まで500年間続く。
原文字期には、次のような現象が次と発生する。
〇大規模な灌漑施設の発達
〇都市の興隆
〇大規模神殿の建立
〇文字の発明
驚くべき一致である。
大規模な灌漑施設、城壁を持った都市の出現、大神殿の建設、
これらのすべてがほとんど同時に出現したことは
定住の規模が突如として拡大しはじめたこと、
価値の蓄積が飛躍的に増大したことを示唆している。
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(引用以上)
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