第2次大戦のA級戦犯に児玉誉士夫という人物がいる。右翼の大物活動家であり、第2次大戦では外務省のスパイとして中国で諜報活動に当たっていた。戦後A級戦犯として拘置されるが、GHQの「方針転換」により釈放、右翼活動を通じて反共、自民党への資金提供を行なっていたという(同様の人物に笹川良一がいる。彼も右翼の活動家であり、A級戦犯でありながら釈放されている)。
右翼といえば天皇称揚、国粋主義、民族主義であり、必ずしも親米ではない。しかし、当時、ロシア・中国・朝鮮などが共産主義(左翼)を掲げて極東地域における米国の脅威となり始めていた。米国によって太平洋戦争の戦争犯罪者にされていた児玉は、同じ米国によって釈放され、反共勢力の活動家として利用されたのである(児玉の資金提供(背後にCIA)を受けた自民党は次第に地歩を固める。しかし、田中角栄が中国との国交回復や、エネルギーの独自化を進めるに至って、米国は田中の排除に動く(米上院外交委員会でロッキード事件が発覚、当時田中は既に首相を辞職していたが、同事件で結局は有罪となり、政界に戻ることはなく、児玉誉士夫も起訴されたまま死ぬまで自宅から出ることはなかった)。
一方メディア(特にテレビ)は電通(広告代理店)に支配されていると言われるが、こうした広告代理店とテレビ局の支配関係が出来上がるのも戦後のGHQ体制下である。1953年2月NHKが開局、同年8月民放の日本テレビが開局するが、オーナーの正力松太郎氏も終戦時はA級戦犯とされ、後に不起訴処分となっている。GHQの占領が終了したのは1952年であり、米国が日本の主権回復に当たって、その後の支配体制の構築を画策したということも、当時の共産主義勢力と日本の地理から考えると、十分有り得ることのように思われる。
結局、現在の日本は、GHQによる占領時代に作られた仕組み(=人脈や政府機関、メディアを中心とした企業関係によるアメリカの支配構造)が現在も続いていると見るべきではなかろうか。特に電通が荷担するメディア支配は、アメリカ物質文化を吹き込み、1億総白痴化と揶揄されるほどの堕落統治(植民地時代のアヘンを想起させる)を行い、日本国民はいつの間にか「平和で豊か」な国民に仕立てられ(=観念支配されて)てしまった。しかし、その先にあるのは、現在の小泉首相が進める日本の資産売却(日本企業の切り売りや郵貯・簡保の横流し)であり、果ては憲法改正による自衛隊の米軍化である(こうした米国による対日工作は、GHQ体制後はCIAなどの情報機関に継承された。日米の情報機関は、米国はCIA、NSAなど15、日本では内閣情報調査室、公安調査庁など12余りある。特にCIAは、友好国であるはずの日本にも(まるで敵国であるかのように)東京支局を置き、青森県三沢基地にある通信傍受移設のエシュロンが日本企業に対する「産業スパイ」を行なっていると指摘されるほどである。対して日本の情報機関はかつては共産党対策、現在ではオウムなどのカルト教団などが主な対象であり、反共や反体制を看視するのみで、むしろ米国の日本支配→極東戦略を補完する事はあっても米国を監視することなど考えてもいない様子である)。
最も重要なことは、そうした対日政策に対して、都合の悪いメディアや政治家が口を閉ざしたとしたまま、いつの間にか「洗脳」「売却」されてしまう我々国民の主体意識であり、現在が、これまで豊かさを羨望するあまり甘んじてきた米国支配の最終局面であるという状況認識であろう。事実の共認をよりどころにした共認社会の実現基盤を築こうとする一方で、米国支配を許すどころか助長させる勢力=旧勢力が現に残存している。両者の闘争は、戦後の復興から高度成長、貧困の消滅をもって、いよいよこれから始まると言っても良いだろう。そこでは、武力や財力による肉体的な支配を上回る観念の力が必要とされる。当面の敵は、相変わらず米国に服従するメディアや政治家達であるが、真の敵はそうした構造を無意識に受容してしまう、我々自身の価値観念であるとも言えるだろう。
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