「投稿するのはなぜだろう」(98372)を読ませていただきました。
最近、インターネットや辞書や書物などで言葉や事例を調べることよりも、るいネットで検索して、情報を得ることが多いと感じています。
例えば、子育てどうする?選挙についてどう思うか?心ってなに?政治ってなに?うつってなに?就職どうする?社会をどうする?など個人的な悩みから、集団や組織の課題、それを超えた社会や世の中などの言葉や疑問について必ず答えてくれるような「るいネット」になっていると思います。
端的にいうと、実感レベルでは、投稿するのはなぜか?というより、全てに秩序を失った私たちの生活の場面において、その指標と評価をみんながどう思っているんだろう?本当のことはなんだろう?という意識から、必然的に投稿に向かっているように思います。
私たちの日々の情報は、新聞や雑誌や書物などの活字媒体とテレビ、ラジオなどの放送・映像媒体から受け取ります。最近はインターネットやブログやHPからも情報を得られますが、主に、今のマスコミ、マスメディアは、周知のごとく、全く信頼できないという事実があります。色付です。結局、事実とは何か?本当のことは何か?を積み上げ、構造化してくれる投稿(みんなからの提案)を読み、それに対して実現的に発展させてゆくことのすばらしさは、このサイトにあります。そこに参加することは、私たちの失った秩序と評価軸を作り上げることの大切さ、必要から、ここに集うのだと思います。
同類圧力形成というより、今の現実の状況をどうしたらいいんだろう?どう前にすすめようか?どこに向いて行こうか?そのためにはどうしたらいいんだろうか?が凝縮されたみんなの意識=社会が実はその先に形作られるという期待感からここに集うと思います。
世の中の多くの人々が焦っています。もう答えは、自分だけでは探せないし、答えがでないと感じているのではないか?と思います。
ルールを無視した小泉ファシズムや社会現象の中で、自ら生存する場所の秩序や規範やルールの正統性の構築が急務というみんな意識が、事実に立脚したるいネットのような認識サイトに参加することを促しているのではないでしょうか? |
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