●自我
みんなの共認によって(自分には)与えられなかった評価の欠乏。他者否定と自己正当化の塊で、己に都合の良い幻想に収束する。従って、共認機能の派生物であるが、みんなの共認を破壊する敵対物でもあり、言わば、共認機能が生み出した鬼っ子である。(新概念の定義集より)
人間は共認動物である。
共認を完全に捨象することはできない。
>問題は、周りから与えられた期待や評価を(頭の中の充足イメージとの対立から)不満視or否定視した場合です。その時はじめて評価(≒共認)捨象・自己陶酔の自我(回路)が形成されます。とは云え、彼は皆の評価共認の全てを否定→捨象している訳ではなく、むしろ自分(と特定の否定対象)に対する評価以外の、大多数の仲間たちに対する評価は自分も共認しています。ただ、自分(と特定の相手)に対する評価だけは認めたくないので、捨象して頭の中の+幻想イメージへと収束する訳です。
概ねは共認しながら自分に対する評価だけは捨象するというのは、何とも都合の良い身勝手な回路ですが、この様に自分だけを特別化→絶対化しようとする意識であるからこそ、後に、人類によってそれは「自我」と呼ばれるようになったのでしょう。(2662四方勢至さん)
特定の−評価を受け入れることを阻害する「自我」。
厄介なものではあるかもしれないが、それは確実に存在する。
しかしながら、「人間は共認動物」であり「自我は誰にでも生起する可能性がある」との認識さえあれば、自分がどのような状態にあるのかを常に判断することができるし、その対処法も見えてくる。概ねは共認しながら自分に対する評価だけ捨象してしまうという構造が、いかに狂っているかという部分も見えてくる。「+評価」だけ受け入れて「−評価」を捨象する構造もおかしなものだ。なにより「−評価」を受け入れて、そこに答えを出すこと以外に能力上昇の突破口は無いのに。
「−評価」を捨象することなしに、注視すること。
そこから始めよう。 |
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