27491 吉国氏
>【生命体は外圧適応態であり進化積層態である。現在の閉塞状況を突破するためにも、彼らが可能性収束してきた適応機能(戦略)の事実を明らかにして、この現実の閉塞状況を突破する可能性戦略を探る】、というのが根本にあります。
>ただ、「適応機能」から「種」を捉えた場合に、「機能」を生み出す原因として「構造」があるとすれば、私はどうも、「種は生物学的構造」というイメージがピッタリきます。
雌雄(男女)の役割を社会的次元で考える時にこの認識は非常に重要だと思います。現在の社会制度・規範・常識といったものは全て観念によって規定されます。そして、人類の場合、最先端機能に観念機能が位置している以上、当然その影響を大きく受けることになる。しかし、だからといって観念が全てを支配(コントロール)しているわけではなく、脳の構造上は大脳新皮質(観念領域)よりも大脳古・旧皮質等(共認・本能領域)の方が人間の情動・欲望(共認欠乏・本能欠乏)という生命体の基礎部分を担うため、非常に大きな影響力を持ちます。
重要な事は、本来の生物体としての人類はこの観念と共認・本能が進化積層態として塗り重ね構造で統合されていることです。と考えれば、雌雄分化を基本とした生殖戦略は共認・本能回路上に獲得された形質として構造化されており、それを観念のみで否定(捨象)しようとしても不可能なことは明らかです。
>さて問題の雄雌分化(有性生殖)という適応機能は、藻類からそして脊椎動物以降顕著に表れている機能(積層され発現している機能)です。あらゆる「生物学的構造」から「機能」として発現されている事実からわかることは、雄雌分化はそれほどの根源的な適応機能であるがゆえに、必然的に発現する機能として、生物学的構造に組み込まれてきたのだと思います。
さらには、上記の生物学的構造が雌雄(男女)各々の機能として備わっていることです。
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ドイツの心理学者カール・ビューラーが[機能快]という言葉を使った。
『 私たちの体にはさまざまな機能があります。その機能は「使われる」ことを望んでいるのです。その機能が最大限に使われるとき私たちは「快感」を感じる。たとえば私たちのカラダには人を愛する愛されるという機能がある。その機能が発揮されない状態が続くとき私たちのココロやカラダは「病む」のだ』というのがビューラーの説です。
(中略)
欲望とは あなたの身体に潜む「機能」の発見から現れてくるのです。
秘められた機能の発見とは「快感」の発見なのです!
(今泉浩晃氏 Mandal-Art Eye リンク より引用)
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人間にとって、快(充足)という情報は構造的に備わっている機能を使ったときに顕れる感覚だとすれば、男と女は生物学的機能差に起因する社会的役割分担を行うことで初めてより高い充足可能性を見出す事ができるのだと思います(女性なら出産・育児という生殖機能も同様)。
よって、「男女同権」という観念は「平等」という現実には存在しない架空観念(不平等に対する反概念)があらゆる社会的差別(主には身分格差)を解体していった末にいきついた最後の差別(正確には区別・差異)だったとも言えます。しかし、決定的な間違いは雌雄(男女)という生物的原基構造を単に社会的差別と同じ位相にスリ変えて破壊してしまったことだと思います(全ての社会的差別を破壊した平等観念は、男女の役割の差異を社会的差別にでっち上げることでしか自らの存続をなし得なかったともいえますが)。もはや、そのことによる機能不全(活力低下や少子化、セックスレス等の生殖問題)は明らかです。改めて、男女同権思想に見られる違和感を発信し、本来の男女役割共認を再現していく段階にきているのだと思います。 |
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