教育の資質を家庭は失ったと言われていますが、親と子供がともにひとつの屋根の下で生活をともにしている以上、なんらかの規範があるはずです。周りの期待に応えることに活力を見出すという視点、それを達成できたときの充足感は生きていく上で極めて大切です。しかし、いつでもそれが容易に手にいれられるかというとそうではありません。失敗しへこむこともあるでしょう。そこで「自分は誰の期待にも応えられないんだ」と自分を責め最悪うつになったり、会社を辞めたりということになるのでしょう。ここで考えたいのは失敗のない人、へこんだ経験のない人などは極めて少なく、むしろ、皆無だといっても過言ではないことは多くの人が認識するところでしょう。では、そのなかでも鬱にならなかったり、会社を辞めずにいられるひとがいるのは、なぜか。周りの評価のあり方が大きいのではないかと思われます。ただ、出た結果にN0をつきつけるだけのものであれば、つらいと思います。その人が取り組んでいた課題を共認しはげまし、ともに考え次の期待事項を本人に認識させることが重要です。特に子供の場合はこの意義はもっと大きいでしょう。子供が次の期待項目にむかうまで親はがんばりつづけるべきで、このかかわりの回数が減ってくることが子供の成長であり、人の力量がアップした目安になるのでしょう。
この関わりをしてくれる人がいないかいるかの違いが問題行動として具象化するか、しないかの違いなのかなと思いました。 |
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