「突破口は農村に全寮制の学校を作ること」というテーマを掘り下げていくと、最初に、農村の本質は何か、全寮制の学校の本質は何か、という問いに突き当たる。
まず、農村の本質とは、農業に従事している百姓の生き方にあるのではないか。
>「百姓」こそ理想的人間像であり、目指すべき生き方のお手本だ。
>「百姓」とは「百」は「たくさん」、「姓」は「かばね」これは古代の苗字に当るもので、苗字は昔、職業を表した。要するに姓は「能力」を意味する。従ってたくさんの能力が無いとできない仕事が「百姓」という事だ。
>まずは、土や肥料について十分に熟知する事、つまり化学知識を持つこと。又地形に沿って棚田を拓き、水を落とし灌漑を施すなど土木、水利技術を駆使していた。他にも様々な、環境工学の知識・作物の流通や相場に対するセンスを発揮していた。
以上1833
>自然という全く誤魔化しのきかない相手との闘いゆえ、正確に対象化する(前提として肯定する)ことなしには全く成果をあげることができない
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このような生き方を全寮制の学校、すなわち衣食住を常時ともにし、生産と一体となった学習の場ですごすということは、生産に必要な知識や技術を習得することと並んで、
>オヤとコ 24991
すなわち、
>生物的な血縁か非血縁かにこだわらず、共同体を形成する集団は、社会的にまた観念的に血縁の同族組織である。そうした組織の中心がオヤであり、それにしたがうものがコであった。
>外圧を前にして、生産を第一課題として統合されていた共同体内では、成員それぞれに役割・課題も与えられ、オヤとコの関係は解脱・闘争など多重の紐帯で結びついていて、濃密であったと思われます。
以上24991
という関係、つまり真の共同体の再生を意味するのだ、と気付くことができる。
以上、農村の本質と、全寮制学校の本質が結びつくと、
・自然を相手に、まっとうな人間を再生する、つまり期待応望回路と課題対象化能力の獲得。
・生産課題圧力に貫徹された、真の共同体づくりへの参加。
が同時に進行する。
ここに参加することは、失われてきた人類本来の機能や集団を効果的に再生でき、閉塞する現在社会の突破口につながるということが理解できる。 |
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