先日、ニュースを見ていたら、現代の若者の言葉の乱れの問題を取り上げていた。らぬき言葉や「だよねー」とかその他もろもろだ。
しかし、これは昔からあったことのように思う。
例えば、江戸時代。江戸っ子はべらんめい口調でしられているが、もともとはずーずー弁もいいところだった。一九の「東海道中膝栗毛」を読めばわかる。それがなぜ、いわゆるべらんめい口調へ変わったのか。
諸説はあるが、当時の流行によるところが大きいと言われている。いまでもあるが、言葉を省略したり、ひっくり返したりといったことが盛んに行われていた。(きっと、当時の老年層は「言葉の乱れ」を嘆いていたに違いない。)
例えば、「べらぼうめ」(大工が使うへら棒。なんのやくにも立たない)「あたぼうよ!」(あたりめえだあ、べらぼうめ!の略)など、、。
現在、我々が使っている言葉も、電話で「もしもし」(申し上げる、申し上げる)とか「ありがとう」(有難いことでございます)「さよなら」(左様ならば、これで)「こんにちは」(今日はお日柄もよく、、)などなど、、、。相手を「お前」と呼ぶのもおかしい。もともとは相手を手前(自分の手の前。いまでも、てめえ!というふうに残っている)と言い、自分をおん前、みまえ(相手の御前)と言った。
いずれにしろ、これらの言葉は当時の口コミで広がっていったのであり、それが現在でも続行しているだけではないだろうか。言葉ひとつをとって若者の問題とするのはおかしい。
むしろ、これからは新しい潮流を感じ取り、新たな造語をうけいれていく柔軟性が必要だと思われる。もちろん、個々に、気に入らない言葉使いや残しておきたい乙な言葉があるだろう。けれども、それらは口コミによってどんどん変わっていくものなのではないだろうか。そして新たな言葉を創り出していくのもまた、我々自身なのである。
|
|