>従来の経済学の基礎は、人は(無限に)物や金をほしがる、という原理に基づいてつくられている。この原理は、すべての人にとって私利私欲の追求が最大の価値であるという、さらに深い原理から導き出されている。
>しかし、豊かさが実現した現代日本は、もはや自我経済学の原理は成立しない。若い人たちを中心に、特に欲しい物はない、お金のためだけに働く気にはならない、特に出世したいと思わない、という人が既に多数派になっている。
現在は、旧観念から、意識潮流の流れにそった新観念への移行期だと思います。
若者は従来の経済学に違和感を感じつつも、親や世間(年長者)とのしがらみの中、結局は旧経済感の枠から抜け出せないでいるのではないでしょうか。
>現代の日本を運営している政治家も官僚も学者もマスコミも、自我経済学の原理が崩壊したことを知らず、逆に規制緩和・民営化に示されるように、自我経済の手法をより強固に貫徹しようとしている。
>共認充足の時代においては、経済活動そのものが二義的な位置づけとなり、経済学の重要性は低下すると思われるが、過渡期の現在においては、自我経済学の原理に凝り固まってしまっている、人々の意識を解放するために、共認経済学の原理を明確にしていくことが重要であると思われる。
感じている、「経済」に対する違和感を、なにがおかしいのか、どうすればいいのか、っていう具体的問題として明確にし、違和感を違和感だけで終わらせないことが重要だと思います。
なんで屋においても、若者にとって、「変わらない、変えられないもの」であった「経済」を、時代の流れと共に「自分たちが変えていかなければいけないもの」「変えていけるもの」として捉え、一緒に考えていくべきだと思います。 |
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