外部不経済という言葉を聞いて、はじめはどういうことか理解できなかた。
外部不経済をインターネットで調べると
>自由主義経済下において、財やサービスの生産・流通、使用などの各段階について市場の外部で発生するマイナス財(バッズ)を、適正に処理する費用が市場メカニズム自体に存在しない結果、環境破壊や健康被害をはじめとする外部への悪影響が生じること。外部効果という性質上、既存の市場経済学ではとらえにくく解決が難しいことから、環境破壊などの社会的損失をも対象とする「環境経済学」が、近年発展しつつある。
これを読むと外部不経済と思われることが多々ある
最近話題になっているアスベスト問題、以前に建てた駐車場のアスベストを除去するのに600万円もかかる、そしてこの費用は、駐車場の持ち主が支払わなければならない。
コンデンサーや変圧器の絶縁油中のPCBを処理する工場が作られつつあると聞く。現在各事業所に保管されているPCBを今後強制的に2015年までに処理していく。その費用は国と保管している事業所が負担する。処理する工場は、言うまでもなく税金で作られる。
カップラーメンを食べた後に残された、プラスチックごみの多さに改めて驚かされる。またスーパーマーケットで使用されているビニル袋などの処理のために作られるごみ焼却場の建設費やごみの収集や焼却場を稼動させる費用は、全て税金で賄われている。
もう一つ、100円ショップで売られている多くのものが、棄てられた時の処理費が、ひょっとすると100円以上になるものも多くあるように思う。
自由主義経済下に隠れているマイナス財の大きさに驚くとともに、このマイナス財を捨象している市場システムのおかしさを感じます。
>「闘争(能力)適応」や「集団(統合)適応」なら、その最先端の闘争機能や統合機能は、闘争圧力に対応する最先端機能であるが故に、全体を収束⇒統合することが出来る。しかし、もともと市場は、「共生(取引)適応」の存在である。共生(取引)適応は、あくまでも闘争圧力からの抜け道に過ぎず、共生適応の最先端機能たる取引⇒お金では、(闘争圧力が消えて無くなった訳ではないので)闘争圧力に対応するこ
とが出来ない。つまり、共生(取引)適応はあくまで抜け道機能しか生み出さないのであって、それは闘争圧力に対する真の最先端機能ではない。従って、全体を収束⇒統合することはできない。これが、市場が社会を統合する機能を持ち得ない、究極の理由である。(31251)
自由主義経済下では、多くの外部不経済が発生しているが、市場はその尻拭いを国家又は国民に押しつけている。この実態が、市場は共生(取引)でありあくまで抜け道機能しか生み出さない事を端的に表していると思う。
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