「感謝のトレーニング」(77071)を始めて1年近くになる。トレーニングの中で、「雑念とたわむれる」のだが、この過程で、心の中に仕舞い込んでいた、さまざまな想い=潜在思念が浮かび上がってくる。それらが、次の行動のヒントになることが多い。
そこで最近、この「雑念とたわむれる」過程を、日常的に実践してみたらどうか、と思うようになった。すべての「雑念」を、一旦、受けとめてみることにしたのだ。
すると、日常的に、さまざまな想い(○○したい、とか)が浮かんできては消えていることに、気づき始めた。と同時に、それらの後を追うように、次の瞬間には「やっぱりダメだ」とか「でも△△しなきゃ」という規範めいたものが浮かんできて、初めの「想い」を否定したり、打ち消そうとしていることにも気がついた。
日常的に「雑念とたわむれる」ことで、潜在思念と、(それにフタをする)価値観念の両方が、見えてきたのだと思う。
なんで屋のカードの中に、
“こうあるべきだ”
頭が身体をいためつけてきた。
というのがあるが、自分の頭の中にも、たくさんの“こうあるべきだ”があるってことに気がついて、びっくりした。
>共認原理への転換(自分からみんなへ)は、課題をどう実現するか真っ当に考えられる基盤が出来た、つまり本当に実現可能性が開かれたことを現している。実現を阻む壁があるとすれば、それは、自分の頭に残り続ける不可能視と自分観念だけではないだろうか。(94601)
日常的に「雑念とたわむれる」ことで、潜在思念(心や身体の想い)と“こうあるべきだ”(頭の中に残り続ける不可能視と自分観念)が見えてくる。そこで後者を取っ払って、素直に潜在思念に導かれるようにしたら、“こうあるべきだ”から解放されて、「どうしたらいい?」へ、おのずと思考が向かうようになるんじゃないかって思う。 |
|