>若者の意識潮流として、お金や地位は第一でなくなっており、仕事にやりがいは求めても旧い企業には魅力を感じていないからこそ就職しない・辞める・フリーターの傾向にあるわけです「脱私権集団」。私権闘争としての成果主義で収入に差をつけても活力に結び付かないし、魅力の無い会社の経営立直しに向かうはずがありません。ましてや「評価が納得出来なければ話し合いに応じる」では、個人契約のプロ野球の真似事にすぎず、条件の良い企業に逃げられてしまいます。<(58133 正国さん)
私の世代では、貧困という現実を肌で感じていました。貧しさから脱するために、闘争していました。私権(お金・地位)という圧力下でがむしゃらに働いてきたと思います。その点では目標共認があっただけ、今の若者より幸せかなと思います。正国さんの言われるように、今の若者に私権闘争としての成果主義で収入に差をつけても活力はでないと思います。もしでていれば若者は生き生きと働いているはずです。
ところが「フリーター」「ニート」と呼ばれる若者が増加傾向にあります。『2005年版「青少年の現状と施策」(青少年白書)を報告の中で、仕事に就かず学校にも行かない「ニート」と呼ばれる若者が増加する中、学生・生徒や無職の青少年で過半数の52・9%が「希望の仕事があれば働きたい」と回答。』若者の希望の仕事が「お金」の獲得「身分」の確保に直結していないと言える。
>'00年、私権観念(「お金第一」「自分第一」で社会のことなど関係ないという観念)が崩壊し、一気に社会不全が膨らむと、遂に「豊かさ追求」という目標共認も溶解し始める。そして、「物的な豊かさ」という目標が溶け崩れて、初めて『必要か、必要でないか』という真っ当な判断基準が潜在思念の奥から姿を現してきた。<
彼らは、お金が欲しいから働くのでなく、みんなに必要とされる=期待→応望という関係があってこそ生き生きと働くのではないのでしょうか。
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