経済学が必要とされたのはなんでだろう?っていうのが気になったので調べてみました。
経済学はいつできたか?
>16世紀から18世紀にかけての資本主義の成立期に胎生し,18世紀末に誕生した。アダム・スミスが『諸国民の富』(『国富論』とも訳される)を刊行したのは1776年であり,この書が現代の「経済学」の出発点に位置づけられている。
それ以前はなぜなかったのか?
>人間はひとりで生きていくことは不可能であり,常に社会集団の一員として生存せざるをえない。この集団が一定の大きさになると,「分業」(division of labor)が社会のなかで成立しはじめる。(未開社会においては,みんなで協力して狩りを行い,獲物は平等に分配するという仕組みだった。これは「原始共産主義社会」とよばれている。)
>ところが,「分業」という機能を円滑に機能させるのは,そう容易なことではない。社会が発展し,複雑になればなるほど,多種多様な職業が生まれてくるのだが,社会が円滑に機能するには,そうしたさまざまな職業のすべてに,適正な人数の働き手を配置しなければならないからである。たとえば,電車の運転士がいっせいに司法試験を受けようという気まぐれを起こしたり,日本中の弁護士が出家しようとしたり,あるいはウェイトレスに誰もなろうとしなくなったり,大学の卒業生の半数が小説家をめざすようになったとしたら――社会は大混乱をきたすであろう。人類は,このような破滅を避けるための方法を,三つ見出した。
>1 伝統にもとづいて社会を組織し,慣習やしきたりによって職業を世襲的に受け継ぐことによって,「分業」の固定化をはかる方法。
→インドのカースト制度においては,人間は宗教の教えにより親の職業を受け継ぐ義務があり,もし職業を別のものに変えようと思うなら,それは神にたいする冒涜だとされた。
>2 中央権力の独裁的支配によって,社会的分業を維持する方法。
→たとえば古代エジプトのピラミッド建設を想起せよ。その建設を可能にしたのは権力者の勅令であり,このような独裁社会では,最高権力者の発する勅令と刑罰が社会を支える柱となっていたのである。
>こうした方法で社会システムが維持されるかぎり,「経済学」は必要とされなかった。そして,16世紀までの人間社会は,基本的にこのような原理によって維持されていたのである。リンク
つまりは、社会システムが維持されなくなったので、次の統合軸として必要とされた。3つ目の方法が経済学だった。
しかし、その経済学が目指したものは?
→「社会全体の幸福を最大にする」こと。「幸福」とは豊かになること、すなわち、金持ちになること。
社会全体の幸福を最大にする。そのために必要なことは豊かになること=金持ちになることではないのだという認識だけでも大きく変わるのだと思いました。
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