>共認充足の時代においては、経済活動そのものが二義的な位置づけとなり、経済学の重要性は低下すると思われるが、過渡期の現在においては、自我経済学の原理に凝り固まってしまっている、人々の意識を解放するために、共認経済学の原理を明確にしていくことが重要であると思われる。
量子力学の巨匠デビッド・ボームは晩年、人間同士が行なう『対話=ダイアローグ』に最も力を入れました。ダイアローグのダイアは「通じる」、ローグは「真理」を意味します。
つまり、お互いがお互いを認め、情報をみんなで共有し、相互の意見や想いに耳を傾けて対話を進めるならば、独りよがりや先入観が排除され、一人では達せないような、よりふさわしい答えに至る事ができるということです。
そこで、この対話による共認を重視すると、必然的に大きな集団では不可能で、よりふさわしい小さなサイズの集団にならざるをえなくなってくると思います。また、その集団の中では自分達の活動が他の人々や社会に及ぼす影響に対して、しっかりと責任を負う必要も出てくると思います。
そのためには、自分達の生活の主要な部分を、できるだけ自分達の見える範囲で生産し、消費することが必要になり、その社会システムも自己管理し、金融も教育も自分達で担う。つまり、みんなの、みんなによる、みんなのための、社会を形成して行く事が大事になってくるように思います。
すると、それは意外と小さな地域レベルでの活動となってくると思います。 もちろん、これは昔の田舎にあったような一つ一つが独立した閉鎖的な共同体ではなく、また、どこかに理想郷を作ることでもありません。
では、一体何がどう具体的に変わるのか?
例えば、共認が基本の共同体では、生産者と消費者、経営者と従業員、店員と客といった相対する関係よりも、それらが相互に密接に融合した形が生まれてくると思います。
それは、個人が全てに所有権を主張するのではなく、共有できるものは皆で持つという形態だと思います。それにより無駄なこともなくなると思います。
すると、資源の利用についても、それは地域で共同で自給自足する方がより良いということになると思います。これにより、必要なものを必要なだけ消費するといった、より経済的な社会が形成されると思います。
さらに、財やサービスの交換もみんなで管理する交換システムの中で行い、子供の教育も、大規模な画一的なものから、その地域の文化と子供の特質、精神的・身体的な発達に合わせた教育が可能になると思います。そして、そのためには共同体に支えられた小規模な学校が必要になってくるでしょう。
このような共認原理に基づいた共同体では、その中の一人一人は、その共同体の中に自分の居場所を見つけることができ、共同体を支える大切な役割を担えるようなり、その自分の居場所と役割は、常に周りから与えられ、活力は低下することはないと思います。さらにそれを広げ、周囲の共同体同士でも役割を分担し、期待・応望の関係を築けるなら、閉鎖的な共同体環境になることはないと思います。
|
|