>身分序列という本能原理が消滅し、真っ当な観念共認が必要な時代にも関わらず私権の現実を変革不可能視した救済→人権(=旧観念)で統合された法学は(一見反権力を標榜しているように見えながら)人工的に権力を再生産し、再び万人を犯罪者にしようとしています。<(山澤さん)
一部の被害者意識の強い人たちの主張だけで、知らない間に訳のわからない法律が作られていく。また、普通の人の感覚ではおかしなことでも、対応する法律がなければ罰せられることもなく、それはおかしいから新しい法律が作られるべきだ!っていうふうにどんどん法律が増えていく。それで世の中良くなっていくの?問題は解決するの?何かおかしい。根本的に変。
このまま法律が増えつづければ、企業も人もみんな身動きがとれなくなって、活力がなくなっていくのは明らか。それなのに何で?って思ったけど、山澤さんの投稿を読んでちょっと分かってきました。
1970年代の貧困の消滅によって、人々は私権の強制圧力や序列原理から解き放たれた。でもそれでは、反権力やそのための法律を作ることを仕事としてきた人たちは飯の種がなくなってしまう。だから、何かネタを探してきては、法律を作る。それが仕事なのだから。法律なんかいらない世の中になってしまったら、法律家(やそれを後押しするアメリカ)は困るのだ。
うーん、こうなったら、法律が何のためにあるのか、その意味自体が極めて怪しくなってくる。「法律が前提」ではなく、そんな法律ができたのは何で?みんなはどうなん?っていうところを起点に考えていくこと。そこから出てきた違和感や事実を発信していくこと。この積み重ねでしか変わらないし、社会運動を起こすとか国会議員に働きかけるとかの現実的でない手段と比べると、実はそれが一番の近道なのかなとも思った。 |
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