>実際、古代市場も、女の性的商品価値を一層高めてくれそうな宝石や絹や毛皮を主要な交易品として、拡大していった。(なお、近世→近代も、呉服や毛織物やレースが起点になる。)
(30709:四方さん)
>市場の真の起源は、私権闘争の抜け道としての、快美幻想の共認、もっとはっきり言えば「騙し」をテコとする私益行為以外には考えられない。)
(同上)
市場の原型となった、古代の「交換取引」の原理とは、どのようなものなのか。
それは、「滅多な事では売れない⇒高く売れる」ような商品が取引される事によって、成立し得る。
そこでは、実際の「見栄え」や「使い心地」のような要素はあくまで第二義的なもので、「滅多に手に入らない、貴重なもの」という「希少価値」こそが、性的な幻想価値と一体になって機能した(だからこそ、「幻想」なのだが)。
例えば、シルクロードの主交易品である「絹」を例にとってみると、その「希少価値」が意図的に維持され、高められていたものであった事が分る。以下は、「朝日新聞社広告局:シルクロード、6,000キロの軌跡」より引用。
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>ナポレオンをはじめ世界中の権力者の多くを魅了してきた絹。発祥の地中国では、絹は単なるモノではなくお金の代わりに使われ、または皇帝が臣下に与える褒美や近隣諸国への贈り物など政治の道具としても利用された。絹が珍重されるのは、その肌触りのよさや光沢の美しさ、見た目の豪華さにあるが、なんと言っても生産量の少ない希少価値にある。今でこそお金さえ払えば誰でも手に入るが、その昔中国では何百年もの間養蚕技術は国の最高機密とされ、それを他国に漏らした者は死刑になっていた。
その門外不出の絹の秘密がヨーロッパに伝えられたのは、6世紀のこと。ローマ帝国のユスティニアヌス帝が中国にキリスト教の修道士を数人送り込んで、蚕の卵を盗み出させたという話は有名だ。中国による生糸の独占体制が崩れてからはヨーロッパの宮殿でも絹製品が作られるようになり、ヨーロッパの植民地支配による領土拡大や交易の活発化に伴い世界中に広まっていった。
>絹は東の中国から西の地中海沿岸まで不毛の荒野を抜け、険しい山脈を越え、灼熱の砂漠を横切り、隊商たちの手によって運ばれた。ただ、シルクロードを端から端までたどる者はほとんどいなく、多くが隊商から隊商に引き継がれていった。そして、持ち主が代わるたびに絹の価格はつり上げられていくのである。
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交易商品価値が、まさに国家規模の作為によって、また何千キロという長い距離によって、捏造されていった背景には、常にその商品の「希少価値」が、それを身に付ける事で「女の性的商品価値を高める事ができる」という当時の支配階級の遊興の場(=宮廷サロン)における性権力の存在が見え隠れしている。
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