先日、飯盒炊さんやオリエンテーリングなどを通して集団活動を身に付けることを目的とした「野外体験学習」に小学4年生から6年生の子供達10人と一緒に参加しました。
最初のうちは「あれをしなさい」「これをしなさい」と私が「指示」をしても、言うことを聞かず、聞いてもすぐに忘れる。まだ、ふざけたり遊んだする方に意識が向かっている様子です。
しかし、大人が手を貸さずに子供たちだけでオリエンテーリングに取り組んだ時には、体力が無くて遅れがちな4年生を前で歩かせたり、約束の時間に遅れそうなので池で休憩を早々に切り上げたりと、6年生のリーダーを中心に真剣に、そして子供とは思えないほど工夫し、しっかりと取り組むように変わりました。
これを通して感じたのは、小学生の子供であっても、仲間関係を基盤に課題・役割を共認して活動すれば、これほど真剣に活力を持って課題に取り組むことができるということです。
そして、そんな彼らを指導するということは、まだ彼らが未熟であることを除くと会社の若手を課題に取り組ませて指導することと大きく変わるところは無い様に感じました。
>かつて、大人・子供という区別はなく、子供は「小さな大人」とみなされ、物心がつく年齢(現代で言えば小学生に上がる年齢)になれば、他の家や村での見習い修行を通じて、大人と同じように働き、扱われる存在だったことがわかります。小さいなりに体力や知識に応じた、課題・役割が与えられていたのです。
乳幼児期の子供たちに必要な存在は、充分な親和を与えることのできる母親です。しかし、集団行動ができるようになった子供達の指導は、社会で集団を統合する男たちの役割でしょう。
それと同時に、この年齢に達した子供が家庭にいても、母親からはもちろん、家庭の中では解脱存在でしか父親から学ぶことなどできないように思いました。
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