「社会活動を事業化する」という概念はすでに発信されて数年経ちますが、今後いよいよ非常に重要な認識になると思います。この背景には、社会活動(=福祉・教育・医療・環境・農業等の社会にとって必要な活動)は、事業採算や投資対利益(リスクとリターン)といった経済原則で判断してはならない聖域であるという固定観念がある。具体的には「企業」が教育や福祉に関わると、経済的合理性や利益追求を第一とし、本来の社会活動としてのサービスが阻害されるという常識です。
しかし、昨今、企業家が福祉や教育に参入していく事例が徐々に出てくる中で、上記の常識は覆されつつあるのではないかといえます。
1つ目は東京都の私立・郁文館学園中高等学校では、平成15年より渡邉美樹氏(ワタミ株式会社リンク 代表取締役社長・CEO、NPO法人スクール・エイド・ジャパン理事長)が理事長として経営参画し、学校改革を推し進めています。もちろん、この改革活動の成果は中長期で判断されるべきものですが、前経営者時代に過大な贅沢投資(不釣合いな豪華ホテル並みの研修センター建築)や高額な人件費(評価競争不在の年功序列による教師給与の高騰化)によって実質的に経営破たんし存続できなくなったた学校を早期に軌道に乗せつつあることは事実だといえます(その過程では、企業経営で培われた経営戦略・財務・マネジメント等のビジネススキルが不可欠)。渡辺氏も自著(「さあ、学校をはじめよう―子どもを幸福にする青年社長の教育改革600日」)の中で、あまりに経済合理性に反した経営内容に唖然としたとの内容を述べられています。
2つ目は、以前にも一度投稿しました拙稿(67401)からの引用になりますが、元ヤマト運輸会長の小倉昌男氏による福祉業界への参入です。
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『福祉を変える経営〜障害者の月給1万円からの脱出』小倉 昌男 (著) 日経BP社
・たった月給一万円! 障害者就労の現実
・経営を知らない作業所の問題
・「福祉的経済」という経済は存在しない
・経営とは「収入-経費=利益」を理解すること
特にこの中では「社会活動=ずばらしい(特別な)ことをやっているという意識を変える」「福祉的○○という就労や経済は存在しない=つまり全て経済原則に則ること」というのが注目されます。麻丘氏の指摘の通り、価値観念である旧観念(福祉、教育、環境等)を掲げた瞬間に経済原則を踏み外し、一般企業よりも始末の悪い旧い体質の金食い虫と化していく(大赤字の第3セクターなどは典型的)。継続し続けないと意味のない社会活動こそ「経営:収入-経費=利益」を意識しなければいけないと思います。
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教育と福祉で業界は違えど、共通しているのは経済原則に則らない社会活動の問題性だといえます(現実を成り立たせているのは、やはりお金を評価指標とする私権経済であって、その経済原則を無視あるいはいかがわしいものとして否定視しては、現実に存続しつづけることは不可能)。その当たり前の事実についても、社会活動界からは何ら変革の兆しさえ起きてこない。
35272 四方氏
>例えば、私権の強制圧力が衰弱し始めて以来、有閑化や人(ひと)収束やサークル(NPOを含む)etcむしろ市場外の生活領域が拡大してきた。しかし、結局それらは何ら新しい現実を結実させることが出来なかった。単なる有閑や人(ひと)収束やサークルに留る限り、何ひとつ結実しないことは、この30年間の実績から(更には過去の全ての社会運動の不成功からも)明らかである。
とすれば、社会活動というのは、あくまで事業としてしかも採算が取れるように運営していくことが存続条件となってくる。旧い現実(私権経済)にさえ立脚せずに新しい現実を生み出そうという社会活動は、まさに要求のみで実現構造(最低限、経済原則に則ること)をもたないことはあきらかです。今後、社会活動において、事業としての成立背景とそのための経営戦略・具体方針を求められることが主流になっていくと思います。よって、冒頭に述べたように、改めて「社会活動の事業化」という新認識が不可欠であり最重要となってくるのだと感じています。 |
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