かつて、長きに渡って続いたキリスト教とイスラム教との聖地エルサレムを巡る“宗教戦争→十字軍の派遣”ですが、劣勢を余儀なくされたキリスト教勢力が、自らの傾きかけた経済基盤を補填すべく「免罪符」を売りに出した…という事は周知の事実です。当時の様子は例えば以下の様に記されています。
>免罪符の販売は、その効能を述べたてる免罪符説教師を先頭とする一行によってなされるが、彼らは目ざす町に着くと、町の中央にある広場に紅の十字架と教皇旗を立てる。
>たとえば、免罪符説教師として有名なテッツェルは集まってきた群衆を前にして、次のように口上をきる。
>「さて、お聞きなされ、神と聖ペテロがおまえさんがたを呼んでおられるのだ。おまえさんがたの霊魂や、亡くなった愛する人の霊魂の救いについて、とくに考えなさるがよい。司祭、貴族、商人、娘さん、ご婦人、青年、お年寄り方よ。聖ペテロの教会であるおまえさんがたの教会に、今お入りなされ。おまえさんがたの前に立てられ、いつもおまえさんがたを熱心に求めておられる十字架に、参詣なされ」
>そのあと免罪符の効能についての口上が続き、最後の締めくくりはこうだった。
>「お金が箱の中でチャリン と鳴るや否や、霊魂は煉獄から飛んで出る。おまえさんがたは、それじゃ、4分の1フローリンでこの免罪符のお符をいただきたくないのか。このお符によって、おまえさんがたは、神聖な不死の霊魂を、パラダイスの祖国へ連れ込むことができるのだよ」(リンク
金銭を提供すれば自らの罪(≒自らの醜い実態)が帳消しになるなどとは、現代の我々から見ればマンガのようですが、これこそ「古代宗教」がいかに欺瞞に満ちているものかを戯画的に、しかも端的に表していると思います。
加えて、中世ヨーロッパの教会は国王を上回る、“封建領主”の頂点に君臨する存在であり、換言すれば中世ヨーロッパの私権覇者でした。その教会が人々に剣や弓矢を使わせ、聖地(=要は自らの都合でどうしても手に入れたい土地…)獲得のため「異教徒」を力ずくで排斥しようとする。そうして現出された阿鼻叫喚の修羅場(≒「戦争」)については根本原因を隠蔽し、一方で「お題目」を唱えさせることによって、人々の頭の中に在りもしない「天国」を捏造させた結果、人々は頭の中では美しい天国を夢想しつつ、体では醜い地獄(→殺戮)を演じた訳です。この事実は例えば以下の言葉によって説明できると思います。
>彼らは、何故、現実の共認圧力を対象化できなかったのか?それは、共認圧力というものが、単なる対象物ではなく、自分自身(の生み出したもの)に他ならないからである。つまり、彼らが否定する現実とは、彼ら自身の私婚・私権の共認や、力の追共認に基づいて作られた現実である。従って、現実を否定する以上、自分自身の存在(自我や私権や力を求める下部意識)の否定に向かわざるを得ない。 >四方さん(20054)
倒錯した虚ろな目ではなく、曇りなき目で透徹に現象事実を直視することが如何に大切かを…この言葉は教えてくれると考えます。
|
|