>この男の空家状態から性欠乏が増大し、女の性的商品価値=婚資が発生した。加えて、男の通過儀礼等に伴う序列評価も自我欠乏を増大させ、戦争圧力から集団自我も発生し、次第にチャネリングが不可能になって、自我の性が混入していった。ここに男の自我発の性の萌芽を見ることができるように思う。<(岡本さん)
始原人類の全員婚や、採集生産時代の総遇婚などは、その集団にいる男たちと女たちがともに満たし合うことでみんなが充足を得る婚姻制度だから、自我の発現する隙はありません。
ところが、交叉婚になると、集団を維持するための、規範に則った婚姻制度という点は変わらないのに、何かが大きく変わってしまっている気がします。みなさんの投稿を読んで考えたのは、同類闘争圧力の高まりによって真猿集団が闘争第一に変わったのと同じように、集団の共認の軸が大きく転換したのかな?ということでした。
岡本さんが言われる上記の自我の発現の過程の中で、「集団自我」の中身が、かなり影響しているように思いますが、この時代の「集団自我」の中身はどのようなものだったのでしょうか?新たな疑問が湧いてきました。 |
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