>真猿たちが、現在見られる様な比較的安定した棲み分け分布を示す様になる前は、新たに登場した真猿他種(強種)との間で、激しい種間闘争が繰り拡げられたでしょう。チンパンジーやゴリラやハヌマンやニホンザル(その他、比較的大型化した真猿たち)は、夫々の棲息域で勝ち抜いて他種を圧倒した制覇種だと考えられます。
>3.生物種の間にはダーウィンの言うように何でも闘争(競争)なのではなく、「すみわけ」に見られるような、空間的・時間的な調和共存(いわゆる共生適応)が中心である。つまり、闘争は破壊を伴うが、それよりも秩序維持が前提となり、秩序自身が変わって進化していくという考え。38803
吉国さんの投稿(『今西進化論』の再評価、その138803、その238899)を読んで、いかに本来、とことん事実を直視してそれを体系化するのが仕事のはずの科学者が、こうであって欲しい、こうであるはずっていう価値観に則って理論を組み立てているか、これから実現していくためにどうするか?事実はどうなっているのか?って風に頭を使う実現論との違いについて改めて思い知りました。
棲み分けを実現する前提として、激しい種間闘争が繰り広げられたということも、激しい種間闘争はずっと続くものではなく、ある程度のところで、安定するということもどちらも事実。どっちが中心ってものでもないはず。
どっちが中心?ってなるのは、現実否定発の旧観念に基づいているから。現実否定であるがゆえに、片手落ちの理論になってしまう。こうなって欲しいって願望に留まってしまう。闘争もあるが・・・って風になって、闘争を直視することができなくなってしまうんだ、こわいな・・って思いました。
そうならないためにも、今の状況が生み出された外圧を捉えること、どうして、そうなっているのかをとことん考えることが必要で、それはどうしたらそれが実現できるかということと表裏一体になっている。だから実現できるし、だから、日常の場面でも役に立つんだ!ってほんとに思いました。
|
|