>今や、「構造認識」は統合階級(学者や官僚やマスコミ)の商売道具として残存しているに過ぎない。もちろん心ある大衆は、そんなモノを全く信じておらず、彼らの言説を耳目にする度に吐き気を催すほど、ほとほとウンザリしている。これが、答えを出せない状況の実態である。
最近、電車の吊り公告で、毎日新聞が新しい路線の公告を始めた。それは、「毎日新聞は意見を押し付けない」という路線である。
統合階級の言説にうんざりしている大衆の意識を汲み取り、朝日新聞あたりに対抗して、こう方針を出したのだろう。
しかし、「意見を押し付けない」という中身は、色んな学者の意見を載せるということ。残念ながら、さらに、うんざりさせられるだけなのは、朝まで生テレビを見るまでもなく明らかだろう。
人権を巡って、被害者の人権と加害者の人権のどちらが大事か?などといった無益な議論が展開されるのは目に見えている。そもそも人権等という固定観念が古いのではないかという発想は、絶対にでてこないだろう。
景気回復と財政再建のどちらを優先すべきか等といった議論も、インフレが起こることを前提=人々が物的な豊かさを第一と考えていた古い時代の議論であり、どちらも上手くいかない無益な議論にしかならない。
人々がうんざりしているのは、意見を押し付けられることではなく、答えがないことである。毎日新聞が、うんざりしている大衆の意識には気がつきながら、誤った方針を取ってしまったのも、人それぞれと言う言葉に代表される、個人主義思想を絶対としているからだろう。
プロによる観念支配でプロ自身が閉塞に陥っている。プロによる観念支配は既に限界を迎えつつある。 |
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