>共認経済学においては、お金や物は二義的存在であり、お金はあくまでも人間の活動を円滑に進めるための潤滑油の役割でしかなくなる。従って経済学の役割も、潤滑油がうまく行き渡るように制御することが目的であり、お金を増やすことやGDPの拡大は目標でも目的でもなくなる。(78729)
自我経済学において、「己の私利私欲のためにお金を使う」この意識が前提となる。
翻って、この意識は根強く一般的な心理として浸透しているようにも感じる。
だから「お金は汚い」「お金が全てではない」「お金第一じゃない」等のお金に対するマイナスのイメージがまだまだ残存しているように思えます。
このマイナスイメージのアンチとして、福祉、寄付、慈善事業、ボランティア、NPO、等々が、「プラス」の価値観念に色付けされいると言ってもいいと思う。
ところがこの価値観念に染め上げられた殆どの活動は何も実現していない。
なんで屋露店で、「良い事やっていると思うんだけど、何でお金を取っているの?」と聞かれることがしばしばある。(特に年配者に多い)
「良い活動」と「お金のマイナスイメージ」に違和感を感じるのでしょう。
このような投げかけに対して次のようなお答えをします。
「みんなが求めている答えを供給してお金を頂いています。皆さんが必要(又は欲しい)と思う物にお金を出して買うのと同じことです。しかも、なんで屋に支払われたお金は誰かの私利私欲に充当されるのではなく、みんなが欲しいと思うこのなんで屋という場を広げていく為に使われます。みんなの為にお金を使う一つの実現態です。」
多くの方は、気持ちよく(カンパとして+αを添えたりして)お金を払っていかれます。
これからの共認経済学では「みんなお為にお金を使う」
この概念が重要だと思います。 |
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