市場が環境を守れず、社会を統合できない直接的な理由は、市場はその参加者それぞれの私権(利益)追求の為に存在しているからだといえます。その意味では市場は統合とは逆ベクトルの位相にあるとさえ言えるでしょう。その様な市場に環境が守れる筈もありません。それどころか、環境を破壊し続けてきたのが市場そのものです。
>ところが、市場(交換取引)は私権闘争を原動力としており、従って、お金が万人の評価指標として社会的に共認されたものであるにも拘わらず、それは専ら私的な充足の為にのみ使われ、社会統合の為には(国家以外)使われない。従って、市場は社会統合には、殆ど寄与しない。(30710)
市場が私権闘争を原動力としてきたことは、既に疑いのない事実と捉えられます。際限のない私権追求の結果、市場が拡大し、環境は破壊され続けてきています。
さて、環境破壊が社会問題化してきた現在、環境配慮を謳う企業が増えてきていますが、この変化は市場が環境を守るということへの転換を意味するのかどうかをおさえておきたいと思います。
ポイントは、企業発の環境配慮なのかどうかという点にあろうかと思いますが、今の環境に対する意識は、企業発ではなく、大衆発であると考えられます。豊かさを実現した結果、安さ(お金)よりも環境に意識を向ける余裕ができた大衆は、環境配慮型の製品や企業の取り組みを是として多少の価格差であれば環境配慮型のモノを選択するようになってきています。この意識の背景には、自らも環境改善に一役を買っているという安心感があるのだと思います。
その社会的な意識変化に対して、企業も国家も追従せざるを得ないといった所ではないでしょうか。それでも、大衆も目先の環境配慮に終始しており、まだまだ(環境よりも)便利さや安さ優先の消費からは脱皮してきれていませんので、間接的には環境を破壊する企業(生産)の手助けをしていることになってしまっています。
この環境に対する企業取り組みの変化も、小手先・目先のものでしかありません。私権闘争を原動力としてきた今までの市場は、私権の衰弱とともに衰退(縮小)していくことはもはや避けらないのでしょうが、共認という新たな圧力の元に徐々にその姿を変えていくことを示唆しているような気がします。 |
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