>興味深い事例として、失語症という病気があります。脳出血で言語野が損傷するとこの病気になります。この状態から回復した人の回想によると、本人は周りが話しかけられていることを正常に理解しているのに、言葉にして返そうとすると、聞いている人には意味不明のものになってしまうそうです。
そして、自分が意味不明のことをしゃべっていることすら、(当初)本人には理解できていないそうです。その間、家族はその反応を見て、気が狂ってしまったり落胆してしまうそうです。そして、本人は意識は正常であることを肉親に伝えることが出来ず、きちがい扱いされて、自尊心がズタズタになるそうです。<21180本田さん>
祖母(70歳代)が2〜3年前から痴呆が進み現在は施設にお世話になっています。最近では痴呆症と失語症を合併した症状になってきています。
>観察によると、患者の言語によるミュ二ケーション能力の回復スピードは、家族やリハビリ意思との言葉を介さない共認の深さ=共認充足度のたかさが大きく影響しているそうです。また、その回復過程は、赤ちゃん言葉から大人の言葉への言語習得過程と極めて似ています。<同>
年に何回か帰省するとき家族、親族で祖母に会いに行くのですが、その時の祖母は、平常時よりも機嫌がよく、私たちに何かを伝えようとするする素振をします。しかし、言葉になっていないので、実際にはどのようなことを話しているのか知ることは出来ないのですが、今までの(祖母が元気な時の)行動や、言葉をみんなで思い出しながら、こういうことを言っているという感じで、祖母をコミュニケーションをとっています。
これは私たち側の勝手な推測のもとに会話をしていることになるのかもしれませんが、その場にいると祖母の表情(僅かですが)や私たちの表情など全てを使ってコミュニケーションをとっているので場の環境、雰囲気に違和感がない状態になるのが不思議な感じがしていましたが、本田さんの「言葉を介さない共認の深さ=共認充足度の大きさ」がこのような場で働いていたことを考えると、今後、祖母に会いに行くときは「言葉を介さない共認の深さ=共認充足度の大きさ」を意識して会いに行き、充足できる時間を過ごしたいと思います。 |
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