自我は、共認充足できないが故の代償充足という側面はあると思うのだが、よくよく考えれば、それならばなぜ自我が共認を破壊するのか、少し疑問に思った。
>共認機能は決して完璧ではなく、それは必然的に自己の破壊回路を生み出して終うのです。<(2239、四方さん)
共認(充足)回路において、最大の共認加速回路が評価回路だろう。成果共認もさることながら、途中段階の役割や分担を共認する上でもみなの評価が羅針盤になる。また、問題・課題共認ですら「どうした?」を共認するのは、評価のヒエラルキー構造の中で捉えられるだろうし、問題や課題を鮮明に捉えて皆に発信することにもみなの評価がついて回る。どの段階でも大なり小なり評価回路が作動するということは、評価回路が最大の充足回路そのものだからだろう。
人間は、「みなの評価を受け、みなを評価しあう」徹底した評価共認動物であり、私権時代は自我(自分が絶対プラス)の評価充足を活力源(加速装置)とした私権存在であり、本源時代は共認(みなと同化)の評価充足(=みなの充足)を活力源とした共認存在だったのだろう。
しかし、自我はみなの充足を阻害し、集団を破壊する危険性を孕んでいる。にも拘らず、自我回路はなぜ発生したのか。
>評価共認は、期待・応合回路上の各所に「与えられない期待や評価」に対する欠乏の塊を生み出し、その不全感を捨象すべく(実現論で述べた−捨象+収束のドーパミン快感回路を使って)他者否定と自己陶酔を目的とする自我回路を形成して終います。<(同2239)
サル・人類は本能不全であるがゆえに共認機能(共認充足回路)を作り出した。つまり、結果的には評価に充足収束する事で適応収束できたということ。にも拘らず、共認非充足であれば他に収束先を求めざるを得ない…しかし、本能不全を突破した共認は絶対である。だから、本来は共認回路上の探索回路をフルに使って、みなの期待を探り、それに応えよう(役割を果たそう、答えを出そう)とするはずであり、それができなければ欠陥体として不適応存在となるしかない!
自我回路…おそらく、問題・課題共認・役割共認の先の太い評価共認回路(その一部は問題・課題・役割共認回路へと下向、一部は成果回路≒実現回路、闘争回路へと上向している)の一部が、ドーパミン系の捨象回路の一部と結びついて幻想回路を作ってしまってみなを捨象した脳内の充足回路が初期の自我回路(代償充足回路)だったと考えられる。この段階では、ある意味では脳内に自我は封印されている。真っ当に共認充足すれば、こんな充足度の低い初期自我回路など廃用萎縮される。
しかし、これに性闘争本能が作動し活性化すれば、捨象回路を通じてこの代償充足回路に相乗収束し、「自己正当化他者否定」という破壊回路と成長し、もはや共認充足の代償充足回路に留まらない。むしろそれは、共認の代償充足ではなく性闘争本能の代償充足回路として機能する。だから、本来の共認回路をも封印し、本源集団を破壊していくようになるのだろう。そして、性も自我を刺激する充足しか感じられなくなったのだろう。
だから、この自我の問題は、共認回路の再生だけでなく、性システムを含めた共認社会の実現出来た段階で完全に消滅するのではないだろうか。 |
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