>しかし、生物にはもともと親子関係など存在しなかったのです。例えば単細胞生物は、どんどん分裂して新個体が環境の中へと拡散してゆくだけです。・・・・・・・・・・・・・なぜなら、それこそが生命の根本的な適応原理たる個体(同類他者)の多様化原理に適った在り方(補:同類他者の変異が多様なほど、種としての適応が有利)だからです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
親和本能の発達した哺乳類の場合(雌雄分化に基く内雌外雄の集団編成も相まって)、雄の性闘争本能は強化されてゆきますが、雌の性闘争本能は衰弱してゆきます。その結果、若雄では巣離れ本能+性闘争本能>親和本能となって若雄は群れから出てゆく事になります。他方、若雌は巣離れ本能+性闘争本能≦親和本能となると共に、首雄の性的期待も相まって群れに残り、かくして娘残母系集団が形成されることに成る訳です。(2194)
恐らく、原始人類も厳しい外圧を克服する為に最適な集団編成をとったに違いありません。外的闘争に参加できる仲間への参加資格は共認機能と体力の成熟が主要な目安になるのではないでしょうか。共認機能の完成とは、脳細胞のネットワークが成人のレベルに張り巡らされる状態でしょうが、集団の中で本人が示される理解力・判断力・記憶力・・・・・を皆がみとめればそれでしまいのような気がします。(現代では、20才成人の脳のNW構造に発育するのは12から13才頃だそうです。)女の場合はその条件に、子孫を宿すことが出来ることが加わると思います。
そうした原始人類の集団に求められただろう仲間関係を思うと、『親子』の関係には私権的な匂いがします。いつから『親子の観念』が成立したのか解りませんが、『親』と『子』の関係には私的な所有・従属関係を感じても、集団関係の要素はまったくないような気がします。そういう意味で親が子育てをする方法をいくら考えても答えは無く、集団の中での子育てにこそ可能性があるのではないでしょうか。 |
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