>『必要かどうか』という真っ当な判断の土俵が出来た以上、「物的商品」も「遊興・芸能」も、「新しい認識」も、全てが同じ土俵上で判断されることになる。この土俵こそ、人々の真っ当な共認が形成してゆく新しい場=演場(の基礎構造)に他ならない(33821四方勢至さん)
現在みんなが「必要だ!」って思うものって、いったい何なんだろう?
快適さ?涙や笑い?それとも他人よりいいカッコできる?そんなものなのだろうか・・・
周りを見てみると、どうもそれは違うんじゃないかと思う。
みんなが今「必要」としているものは、上記に挙げたような一昔前の欠乏とは異なり「誰かの役に立つ」とか「喜んでもらえるもの」あるいは「少しでも安心したい」とかそんなものに移り変わってきているような気がする。これらは全て『共認充足』を求める欠乏だといえるのじゃないだろうか?
>『必要か、必要でないか』という認識は、決定的な一つの答えとなる(同上)
その決定判断軸の中心が今後「共認充足」の『可能性の有無』にシフトしていくであろう事は、ここ数年の人々の意識の潮流を俯瞰すると間違いないのではないかと考える。
『共認充足を得られるか、得られないか』という認識が『必要か否か』という判断の土俵における決定軸の中心になる。まさに、これからの「消費のありよう」は『共認充足の可能性』に収束していくのではないかと考える。 |
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