家庭(家族)っていうのは、ある意味、最も目先の収束先なんじゃないだろうか。
たしかにそこでは、相手に気を使う必要も私権圧力に耐える心配もなく、(わずかではあるが)共認充足を得ることも出来るだろう。83549
親元収束のどこがヤバイのか?
世代を継承できない-社会が時間を超えて連続しない-生命にしろ社会にしろ断続・不連続という事は有り得ない(一度切れればそこで絶滅という事)−つまり滅亡構造であるという事・・・これがヤバイ。
もともと、生物には親子関係など無かった。2194
>つまり新個体は放っておけば新世界(環境)へと泳ぎ出してゆくのが、当然なのです。なぜなら、それこそが生命の根本的な適応原理たる個体(同類他者)の多様化原理に適った在り方(補:同類他者の変異が多様なほど、種としての適応が有利)だからです。
>もし親子が一緒に居るとしたらその「同棲」の理由こそが必要なのです。実際、生命体が複雑化≒高度化してゆくにつれて、保育の必要が高まってゆき、親に保育本能がセットされてゆきます。この保育本能が親子をつなぎ留める訳ですが、この本能は保育必要期のみ作動する時限本能であり、保育本能が作動しなくなれば、新個体がさっさと新世界へ出てゆくという基本形は変わりません。
生物に親子関係が生じるのは哺乳類からです。哺乳類の新生児は自然適応できない未熟児として生まれる。産後保育は不可欠です。しかしその素となる保育本能は”必要期のみ作動する時限本能”であり親子関係の紐帯となる親和本能は、同時にセットされた”巣離れor親離れ本能”により時期が来れば解除され子は新世界へ自ずから出て行くことになります。哺乳類の一般形は若雄が出て行き娘残留の母系集団として世代が継承されます。(2194より)真猿の内チンパンジーなど同類群間闘争を行う種は、娘が出て行き戦力となる若雄が残留する父系集団を形成します。
母集団を離れた若雄は闘争によって別集団の縄張りを勝ち得た者が新しい主雄となって集団の世代を継承していきます。
(チンパンジーの娘は、別の父系集団に入りそこで出産し世代を継承します。その時元の群れのカルチャー(蟻釣りなどの)を別の群れに伝播させる若雌もいます。)
哺乳類で始めて発生した産後保育の必要期間は、大型化するにつれて長くなっていきます。大型化のほかに群れの中で与えられる後天的な能力である共認能力を持つサルは、集団の中で生きる為の能力を身に付けるためにさらに長くなっていきます。観念機能を用いて複雑で高度な社会を作るに至った人類の場合は、産後保育の他に教育期間が必要になってしまいます。今や大学卒業まで最短で22年間親掛かりであるのが普通となっています。
この親子関係は、そもそも種や集団や社会が世代を継承する為に必要な準備期間であり、子が次時代を生きる為に必要な最低の条件をクリヤすれば”さっさと新世界へ出ていく”or"行かせる"為の準備期間のはずです。当然短い方が子育てとしては、成功なのです。
”皆の役に立ちたい””皆に喜んでもらいたい”という思いを持って新しい社会に出ようとする若者の前に旧制度,旧観念で固められた壁が立ちはだかる。いまだに強固なこの壁の突破口となる出口=答えは出せない。目先の現実課題に収束しようとするが実現の見通しが立たない。やがて疲弊し社会に出る事をあきらめ最も目先の収束先としての親元に回帰しようとする。その時親の方も子を喜んで受け入れてしまう。新しい社会をあきらめた子供と、次世代の事などどうでもいい親がぬる-く活力無く、表面的には仲良く暮らす事になる。
親元収束の光景には未来を捨象しひたすら内向する生命力の無い親子像が見えます。
これは,次世代を託すという子供への当然の期待を自分の平安の為だけに捨て、子供が生まれてきた意義を殺してしまう親の犯罪なのでしょう。 |
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