現在、栽培・牧畜の起源、遊牧の起源を調べています。まずは、最初に略奪闘争が起こった西アジアを中心に調査しています。近いうちに、るいネットの応援サイトとして開設する予定です。
以下は、『ムギとヒツジの考古学』(同成社 藤井純夫著)からの引用です。
>夏ではなく、冬、雨が降る。これが、西アジアの気候の最大の特徴である。西アジアで栽培化されたコムギ・オオムギなどの植物がいずれも冬作物であったのは、そのためである。
>では、なぜ冬に雨が降るのか。地球表面を覆う季節的な南北移動がその原因である。北半球では、冬になると北極の寒気団が勢力を増す。その結果、地球上の気団全体が南に押し出される。夏はその逆である。当然、気団と気団の境目部分(この部分に大気の大循環が集中し、低気圧が発生する)も、季節的に南北移動することになる。そのひとつが、寒帯前線である。この寒帯前線がヨーロッパと西アジアとの間を季節的に南北移動し、各地に降雨をもたらしているのである。西アジアは、寒帯前線の冬の南下位置に相当している。西アジアの気候が冬雨型であるのは、そのためである。
>西アジアの降雨量は、一般に、南に行けば行くほど、また東に行けば行くほど、少なくなる。南に行くほど、降雨が減少するのは、寒帯前線が北からやってきてふたたび北に戻っていくからである。一方、東に行くほど乾燥するのは、寒帯前線の周囲で発生する低気圧とそこから延びる前線が、総じて西から東へと移動するからである。風上(西側)で奪われた湿り気は、風下(東側)までは届かない。しかも、地中海東岸一帯を南北に走る山脈群が障壁として立ちはだかっているので、たとえば、ベイルートではかなりの地形性降雨があるが、その山陰に当たるダマスカスやバグダッドでは降雨が少ない。
>ただし、例外はある。西アジアの南端部分(イエメン周辺)における夏雨地帯の存在である。寒帯前線が夏になって北上し、西アジアから去っていく代わりに、それよりもさらに南側で季節移動している熱帯収束帯が西アジアの南端部分にまで北上してくる。これが、イエメン周辺に降る夏雨の原因である。夏雨モンスーンの動向自体は、農耕や牧畜の起源問題とは直接抵触はしないが、土器新石器文化の後半から都市成立期(7000〜5000年前)にかけてのメソポタミアについて検討する際に重要となる。この時期、地球上の大気温度が数度分上昇したために、夏雨モンスーンの影響範囲が現在よりもさらに北側にまで拡大した可能性が指摘されているからである。
>年ごとの変動が大きいことも、西アジアの降雨の大きな特徴である。現在のヨルダン東部では、変動の幅はせいぜい100〜200mmほどであるが、もともとの降雨量が少ない乾燥域においては、その影響は絶大である。大豊作の翌年は大干魃、その影響で家畜もほとんど全滅。こうした事態が、今日においてもくり返されているのである。
>ところで、コムギ・オオムギの天水農耕には、年間約200〜300mm以上の降雨が必要といわれている。現在、この条件を満たしているのは、西アジアの西端および北側の地域だけである。しかし一方ではまた、冬の最低気温という要因もある。その結果、北側の山岳地帯が脱落する。その結果、最後に残るのが、平原部と山岳部の中間に広がる山麓・丘陵地帯(いわゆる「肥沃な三日月弧」)である。現在の野生ムギの分布も、この地域に集中している。ところがこの地域の年間降雨量は300〜500mm程度であり、天水農耕に必要な最低降雨量をかろうじて上回っているにすぎない。だからこそ、数百ミリメートル単位の降雨量変動が大きな影響をもたらすのである。降雨量の年較差は、初期農耕にとっても重大な問題であったと思われる。
>上記のデータは、たかだか十数年間の小変動にすぎない。初期農耕の成立過程を考える際には、より大きなオーダーの気候変動をも考慮しなければならない。その影響は絶大であり、野生ムギ(ひいては野生ヒツジ)の分布域に大きな変動をもたらしたと考えられる。
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