>共認充足の時代においては、経済活動そのものが二義的な位置づけとなり、経済学の重要性は低下すると思われるが、過渡期の現在においては、自我経済学の原理に凝り固まってしまっている、人々の意識を解放するために、共認経済学の原理を明確にしていくことが重要であると思われる。(78729 野田さん)
現在の社会を理屈で考えると、確かに「金は天下の回り者」のごとく、経済が第一義であるかのように感じてしまいますが、実際のところ、本当に金が全てだと言い切る人は少数派で、やはり、本当の意味での充足を求めているというのが、人々の根底にある意識なのではないでしょうか。
これまでは生きるのが精一杯でした。だからその手法として経済学が用いられ、様々な政策もとられてきました。その当時もまた、生きること、貧しさを克服することが第一義であり、経済はあくまでもその手法であったはずなのです。
貧しさを克服した今、共認による充足(社会の中で役割を担える、意義を感じ、役に立てるという実感)が新たな第一義の欲求として現れ始めています。経済学は元々手法でしかなかったのですから、こうした現在の実感を元に、改めてこれからの社会活動に合う、経済学の手法を素直に用いていけばよいのではないでしょうか。
第一義の目的を明確にし、その為にどんな手法をとればいいのか。これを踏まえた上で、最初は小さな範囲内、部分的な所からでもよいので、素直に現実に即して実践していったらよいのではないでしょうか。一般大衆の、生活に一番密着するところからじわじわと、新しい共認経済学の手法でもって、人々の社会との関わり方を見出していけるといいと思います。
身近な実践、実感が一番広げていくには効果的であると感じます。 |
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