>そしてお金は人間活動の潤滑剤であると考えるならば、むしろ潤滑剤として必要なだけ紙幣を発行するべきといえる。(78729)
日本国内ではある程度いけるかも知れないが、輸出入は継続しなければならない。いまさら鎖国するわけにはいかないのだ。
発行しまくった円で、湯水のように石油を買うわけにはいかない。
■だとすればどうしたらよいだろうか?
共認経済下では、
>お金や物は二義的存在であり、お金はあくまでも人間の活動を円滑に進めるための潤滑油の役割でしかなくなる。(78729)
貧困が消滅し、収束不全に陥っている日本国内に限るならば、国民の共認を図るまでにハードルは何段かあるだろうが、原理的には可能だろう。共認経済の方が、格段に生きがいを感じられ、活力がアップするのは明白だからだ。
■では、そこまで実現できたとして、輸出入をどうするか?
「余剰金プール方式」はどうだろうか。国民が生産した価値=金のうち、生活に使わないものをプールしておく。石油や鉄鉱石などの必需品を国外から購入するときにはその金を使えばよい。
あまりに突拍子のない話に聞こえるかもしれない。しかし、すでにこの方法は半分実行されている。国民の預貯金をベースに国債を発行しつづけてきた事実がまさにそれにあたるのだ。
要は金の使い道が共認にもとづくものなのか、自我・私権にもとづくものなのかが違うだけである。
■国内経済と国外経済を使い分ける意義
日本では国内・国外で、経済が2重構造を成す事になる。
このことはどんな意義をもつのだろうか?
まず、日本は必要な物を必要なだけ輸入するという共認原理にもとづいた社会になる。無駄なものを買わないという観点で、実に理にかなった社会構造が実現できる。
このことは自我経済にもとづく他国にとっては脅威である。さまざまな圧力で共認経済をつぶそう、自我経済にもとづく輸出入に再転換させようともくろむだろう。
同時に他国国民の実感レベルでは、生きがいと活力に溢れる日本国民は羨望の的となるだろう。
彼らは共認をとるか、自我をとるか、二者択一を迫られることになる。
流れが共認に向かえば、新たな社会の可能性が開け、自我に向かえば滅亡に向かうことになるだろう。
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