生物史を貫く原理としての「雄は闘争存在」という事と、雄発で変異し、進化するということが、うまく繋がらないですね。
分子生物学の知見として、以下のような主張が行われている。
DNAの複製を伴う細胞分裂時に、一定の確率でDNAの複製ミス・変異が発生する。これを、生殖細胞の分裂に当て嵌めると、雄の生殖細胞の分裂回数は、雌の生殖細胞の分裂回数に比べて、格段に分裂回数が多い。だから、雄発で変異が蓄積すると。
例えば、哺乳類では、卵子は卵子母細胞から2回の分裂で1倍体の卵子になる。第1回目は普通の2倍体分裂、2回目が1倍体への分裂。だから、1つの卵子母細胞から、4個の1倍体細胞が生まれ、その内の1つが卵子として、受精を待ち受ける。
それに対して、精子母細胞は、精子を生み出す過程で、20回以上の細胞分裂を繰り返す。1つの精子母細胞が20回の細胞分裂をすると約100万個の精子になります。哺乳類の精子数は、1億単位ですので、100個の精子母細胞が20回以上の細胞分裂をしている事になります。
このような生殖細胞の分裂回数の格段の違いから、「雄の生殖機能の機構に変異の発現、変異の促進が組み込まれている」という主張です。そして、変異の蓄積は、遺伝的に中立(益も無いが害も無い)であるとします。
魚類でも、卵(卵子)と白子(精子)では、やはり、圧倒的に精子の数の方が多い。鳥類でも、卵の数よりも、精子の数の方が圧倒的に多い。哺乳類は勿論である。
確かに、そうなっている。
しかし、この説明だと、変異は雄の生殖細胞のメカニズムに自動的に組み込まれているのは、分かるのですが、なんか納得という感じがしないですね。
実は、生殖行為とは、何故、存在するのか。その中で、雄と雌はどうのような役割を固定して、より特殊化して来たのかが、抜け落ちているために、なんか、「説明だけ」と感じてしまいます。
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