>でも、吸収=理解だったら、「自分にはまだ無理」とか「知識が足りない」とかすごく道のりは遠そうだけど、吸収=同化だったら、今すぐにでも出来る。
だって子供は、同化するときに「自分が」出来るかどうかなんて、きっと考えていない。そういう意味で、対象と自分との壁は全くない(というより、「自分」っていう意識が全くない)。
しかし、物事を理解するということと、どうすれば実現できるか=使えることの間には、まだかなりの壁が存在する。
前者は自分の頭の中で充足、統合できただけ、後者は、相手の意識をどれだけ対象化できているかどうかが、強くその観念(理論)に収束できるかどうかを規定しているのだと思う。
>目先の収束先に過ぎなかった旧い現実は衰弱するばかりです。そしてそのことは全世代にとって、収束不全⇒可能性探索こそが最大の現実課題に既に転換している事を意味します。
(71435 何故若者達は理論収束し始めたのか?A 収束不全⇒可能性探索が最大の現実課題に転換した)
もはや、私権と解脱のような自分の頭の中だけを充足させるだけの課題では現実を変えられず、あらたに収束できるもの=可能性をみんなが求めているということは、充足=収束の対象が自分からみんなに変わったということであり、みんなの意識=期待を強く対象化することが現実を変えること=実現するということに繋がるのだと、はっきり頭の中を塗り替える必要があるのだと思う。
その上で、対象と自分との壁は全くない状態=同化することで、新理論や物事を実現するための構造認識が本物の輝きを持って使えるものとなっていくのだと思う。
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