拙い文章ではあっても、いつまでも心に残り、読者の行動を左右することがあります。それとは反対に、一見極めて論理的だが理解できない、あるいは心に響かず残らない文章もあります。そういった文章にも何らかの主張(中身)があるのだろう、といつも忍耐と努力で読んでいたのですが、結局いくら読んでも頭に入らず諦める、ことが多い気がします。(努力が足りない場合ももちろんありましょうが…)今では、そうなる理由はこれ(6983)だ、と納得できます。
つまり、良い言葉とはさしあたり、人の潜在思念にピタリとフィットするもの、ということになります。そして、皆がそう思うなら、良い言葉の正体について、少なくとも「潜在思念」としては皆が持っていることになりますね。
そもそも真の創造を、既存の知識体系や理論を使ってできるわけがないと思います。本当に有用な観念の創造は「潜在思念」を出発点にするしかないのでしょう。
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